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2012/11/12

■節子への挽歌1898:私が先に旅立ったらどうだったか

節子
ふと考えました。

もし私が先に彼岸に旅立っていたら、どうだったろうか、と。
これまでずっと、そのほうがよかったのにと思っていました。
しかし、もしかしたらそうではないのではないかと思ったのです。
毎朝目覚めた時の気持ちに、節子は耐えられるだろうか。
そう思ったのです。

先日、ある人から、ご主人を亡くした女性の知人が、むしろ元気になったというお話を聞かされました。
よく耳にする話ですが、節子はどうだったろうかと思うと、いささか微妙です。
私はあまり自立していませんが、節子もまたあまり自立していませんでした。
私たちはお互いにあまり自立していたとは言い難い。
ですから節子もまた私がいないとだめかもしれません。
娘たちは、この意見には賛成しないかもしれませんが、節子は間違いなく賛成するでしょう。
今朝、突然にそう思ったのです。

いずれにしろ、一人残された者の辛さは、実際にそうなってみないとわかりません。
耐えられないからこそ、元気を装い、再婚したりするのかもしれません。
でも節子は、間違いなく再婚はしないでしょう。
そう思います。
では元気を装えるかどうか。
たぶん少しは元気になれるでしょうが、心の中に大きな穴が出来ることは間違いありません。

そう考えると、節子が先でよかったのかもしれません。
そう考えたところで、何かが変わるわけでもありませんが、今朝、ふとそんなことを考えました。

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妻への挽歌10」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。久しぶりにコメントします。

私も夫を亡くして、今はむしろ元気になったと傍目には思われているのかもしれません。

夫が亡くなって、後追いを考えた時期もありましたが、その後、自分の人生を精一杯生きようと思うようになりました。(以前生き地獄とコメントしたので、その時からするとがらっと変わっていると思います)

何をすればいいか、途方にくれていたのですが、とりあえず興味があることは手当たり次第やってみよう。元気を出そうと思って、いろいろやってみています。

でも、1人で泣くこともありますし、寂しい気持ちはずっと抱えています。傍目にはそのように言われたりするんだろうな。そういう人たちは物事の本質を見ないでいろいろ言うだけだし、関係ないからほうっておけばいいなとも思いますが、一言、言いたくなりました。

私は、亡き人を思ってずっと元気がなく寂しいと思っているのが愛情だとは思っていないのです。

投稿: まな | 2012/11/13 08:41

佐藤さま。こんにちは。
今回の記事も考えさせられました。

かみさんの生前、僕の人生のシナリオには、僕がかみさんを看取るという想定はありませんでした。
自分は絶対にかみさんに看取ってもらうことになるだろう。
かみさんに向かって「今まで楽しかったね。本当にありがとうね」と言いながら死んでいこう。
そう思っていました。

なのに僕がかみさんを看取ることになってしまいました。

もし、僕が先に死んでいたら、かみさんはどうしただろうか。
今回の記事を読んで考えさせられました。

かみさんは決して再婚しないだろうなとか…
僕が味わっている寂しさ、辛さ、虚しさを、かみさんに味わわせなくてよかったとか…

ごく最近まで、朝目覚めると、「ああ、そうか。もうかみさんはいないんだっけ…」と気づいて酷い鬱に落ち込む日々が続いていました。
最近は「今日もまた、かみさんのいない一日が始まるんだな…」と感じます。
一見同じ感覚かと思われるかもしれませんが、実感としては全く違います。

この朝目覚めた瞬間の何とも表現しようのない虚しい気分。
この気分をかみさんに味わわせなくて良かったと感じたりもします。

投稿: プーちゃん | 2012/11/15 11:02

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