■節子への挽歌1890:一本のお線香
節子
今日、お墓参りにいったら、節子の書道の先生だった東さんに会いました。
東さんもご主人をかなり前に亡くされていて、そのお墓が節子のお墓のすぐ近くにあるのです。
東さんも、今でも毎月2回、お墓参りに行かれています。
そして、ご主人のお墓をお参りした後、必ず節子のお墓にお線香を一本あげていってくれるのです。
もう4年以上、それが続いています。
いつもは朝早いのだそうですが、今日はとてもあたたかだったので、お昼過ぎに散歩をかねてお墓参りに来たのだそうです。
お墓でお会いするのは初めてでした。
とてもお元気そうでした。
節子が東さんのところに書道を習いに行きだしたのは、いつからだったでしょうか。
書道を習うというよりも、ともかくいつも楽しそうでした。
4人ほどの小さな仲間だったようですが、みんなとても楽しい人で、病気が再発してからも、調子の良い時にはでかけていました。
いつもお菓子を持ち寄っていたようですが、病気になってからはあんまり食べられないとお土産に持ち帰っていました。
節子は、いろいろな人に支えられていたのです。
病気になっても、再発してかなり辛くなってからも、そうした仲間たちの集まりには、できるだけ節子は参加していました。
私と一緒にいるよりも、友だちと一緒にいるほうが楽しいのかと冗談を言ったこともあるほどです。
そして、節子は、その人たちに今もなお支えられているのです。
人の生き方は、死んだ後にはっきりと見えてくるものかもしれません。
東さんが毎回、節子のお墓に寄ってくださるのは、やはり伴侶を亡くされた体験からではないかと思います。
伴侶を亡くす体験で、死に対する考えを変えた人は少なくないでしょう。
私も、その一人です。
死者とのつながりを、実感できるようになるのです。
去るものは日々に疎し、という言葉がありますが、決して、そうはならないのです。
東さんの世界には、まだ節子がいるのです。
とてもうれしいことです。
いまもわが家の和室には、節子が東さんの指導で書いた書の作品がかけられています。
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