■節子への挽歌1895:また訃報です
節子
昨夜、訃報が届きました。
節子の叔父さんの中川さんです。
節子にとっては、いろんな思い出がある人です。
節子がいたら一緒に滋賀までお別れに行くのですが、今回は弔電で許してもらいました。
滋賀にいる節子の血筋の親戚も、ほとんどがもう代替わりです。
だんだんと縁はうすくなっていくのでしょうね。
節子と私の結婚は、最初は両親も含めて、最初はあまり賛成されなかった結婚でした。
中川さんは節子の生家の本家だったので、とりわけ東京の人との結婚にはあまり賛成ではありませんでした
それに私は結婚式もしないと言っていたからです。
結局、節子の親戚を中心にした結婚披露宴はやることになりましたが、当時の私にはあまり本意ではありませんでした。
幸いに、節子の両親はとても理解のある人たちで、私の生き方の味方になってくれましたが、本家や親戚との関係でかなり苦労したはずです。
節子も、私と同じく、両親の反対を押し切っても自分をつらぬくところがありましたが、それもあって節子自体も親戚づきあいは苦労したのだろうと思います。
しかし、私には一言も愚痴をこぼしたことはありませんでした。
その中川叔父が亡くなりました。
一足早く彼岸に旅立った節子と間もなく再会でしょう。
さてどんな再会をするでしょうか。
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