« ■仕事とお金の話 | トップページ | ■節子への挽歌1889:自分を癒す力は自分の中に備わっている »

2012/11/02

■節子への挽歌1888:フォワードな生き方

節子
先日、大阪で自死遺族のネットワークを立ち上げたOさんとお会いしました。
3年前に東京で開催した自殺のない社会づくりネットワークの公開フォーラムに参加したのが契機になった関係で、そのネットワークにささやかに関わらせてもらっています。
最初はちょっと頼りなかったネットワークも順調に育ってきていますが、同時に、Oさんも会うごとにとても強くなってきているように思います。

そのOさんから、私が使っている「フォワード」という言葉が気になっていると指摘されました。
彼女の仲間でもあるSさんも、それが気になっているらしく、私に会ったら訊いておいてほしいといわれたそうです。
その気持ちはよくわかります。

フォワードとは、最初は自殺企図者や自殺未遂者を表わす言葉として考え出しました。
「自殺」という言葉を使いたくなかったので、呼び方を代えようと思い、自殺防止活動をしている人たちが「ゲートキーパー」と呼ばれていたことにつなげて、「フォワード」と命名しました。
そして、フォワードの人たちを中心にしたフォーラムを今春開催し、その後、毎月、湯島でフォワードカフェを開いています。
しかし、そうした活動を始めてから、意識がかなり変わりました。
いまはフォワードを、自殺に限らずに、「ちょっとつまづいてしまったけれど、それを乗り越えて、前に向かって進みたいと思っている人」と捉えています。
OさんやSさんは、その「前に向かって進みたいと思っている」という点に違和感をお持ちなのだろうと思います。
前になんて進めないし、進みたくない、という気持ちのあることを佐藤さんは知っていますか、と問われているのかもしれません。

言葉の問題は、実に難しい。
Oさんからは、毎回、言葉の指摘を受けます。
Oさんは子どもの頃、父親の自死を体験しているのです。
人は、自らの体験や境遇を踏まえて、言葉を理解します。
私もまた、節子を見送った後、言葉の意味が大きく変わったのを体験しています。

私自身も、前になんか進みたくないと今でも少し思っているところがあります。
節子を見送ってから、ある意味では私の時間は止まっていますから、そもそも前に進むという概念さえなくなっているのかもしれません。
しかし、そうはいっても、「フォワード」という言葉は気にいっています。
私の素直な気持ちで命名した言葉であり、決して観察的な他人事ではなく、私自身に重ねながら考え出した言葉だと、最近は思えるようになってきました。

お2人に、今春の「フォワードフォーラム」で話したことを改めて伝えました。
そこでお話したのは、次のような話です。

最後にフォワードについて一言補足しておきたいと思います。
フォワードという名前には「前に向かって進む」という思いを込めていますが、実際には前に進めない時もある。何が何でも前に進むというのではなく、立ち止まること、あるいは時には後向きになることがあってもいい。
でもそれも含めて、前に進んでいく人と一緒に、ゆっくりとゆっくりと自分も前に進んでいきたいと思います。そのためにも、安心して話し合える場、安心して自分をさらけだせる仲間がもっともっと増えていくといいなと思います。
その報告書を改めて読み直してみると、フォワードの意味はもっと広いような気がしてきます。
みんなと一緒に生きることを大切にしたいというような意味と言っていいでしょうか。
無理をして前に進もうという意味ではなく、前に進んでいる周りの人を認めよう、一人だけで自分の世界に引きこもりつづけるのはやめよう、というような意味でもあります。

OさんとSさんへのメールの最後に、次のような文章を付け加えました。

私はそもそも「素直に生きること」が「フォワードな生き方」だと思っているのです。
自分に素直になるといってもいいかもしれません。
素直になれば、とても生きやすい、そして気がついてみると前に少しだけ動き出している。
それが、妻を亡くしてからの、私の5年間でした。
節子がいなくなっても、私は素直に生きられるようになっているような気がします。

|

« ■仕事とお金の話 | トップページ | ■節子への挽歌1889:自分を癒す力は自分の中に備わっている »

妻への挽歌10」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌1888:フォワードな生き方:

« ■仕事とお金の話 | トップページ | ■節子への挽歌1889:自分を癒す力は自分の中に備わっている »