■節子への挽歌1900:小春日和
節子
今日は気持ちの良い小春日和です。
縁側で節子とゆったりお茶でも飲んでいたくなるような日ですが、縁側で小春日和を楽しむことは残念ながら私の人生からはもうなくなりました。
近くの公園を散歩することもなくなりましたが、自然を楽しむ気持ちがなくなってしまったのかもしれません。
先日、渓谷を歩きましたが、ただただ歩いているだけでした。
1回だけ、沢蟹探しをしましたが。
自然だけではありません。
節子がいなくなってから、人も嫌いになってきているような気がします。
にもかかわらず、他者の問題についつい関わっていこうとする性格は変わりません。
そのせいか、最近は、自然の中にいるよりも人の中にいることが多くなっています。
それが不調の原因かもしれません。
昔は、人と自然がバランスしていました。
節子は自然が好きでしたから。
わが家から辛うじて見える手賀沼の湖面が、節子は好きでした。
特に小春日和のなかで湖面がきらきらと輝いているのを見ると幸せな気分になるのです。
その湖面をゆっくりと見る時間は、しかし節子には多くはありませんでした。
転居してから間もなく、節子は発病してしまったからです。
それを思うと、湖面のきらきらした反射光も悲しさを呼び起こします。
そのせいか、私はあまり見なくなりました。
しかし、そうは言っても、小春日和は気持ちを明るくさせてくれます。
最近、あまり良いことが起こらずに、気の重くなる話が多いのですが、流れが変わるかもしれないなとつい期待したくなります。
そんな気がするほど、気持ちのよい小春日和です。
今日はまたいろんなことが予定されている1日ですが、
この朝の、気持ちよさをできるだけ大事に過ごそうと思います。
節子の贈り物かもしれませんので。
| 固定リンク
「妻への挽歌10」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2000:2000回を迎えました(2013.03.01)
- ■節子への挽歌1999:節子の手作り雛人形(2013.02.28)
- ■節子への挽歌1998:ルクソール(2013.02.27)
- ■節子への挽歌1997:記憶の共同体(2013.02.27)
コメント