■節子への挽歌1903:病気観
節子
久しぶりに風邪をひいてしまったようです。
それが理由ではありませんが、2日ほどまた挽歌を書きませんでした。
一昨日、久しぶりに若手の起業者たちのパーティに参加しました。
節子がいなくなってから基本的にはそうした集まりには参加していないので、久しぶりでした。
途中で抜け出したのですが、外はひどい雨風で、びっしょりと濡れてしまいました。
それがよくなかったのかもしれません。
昨日はゆっくりと休みましたので、何とかひどくならずにすみそうです。
大事をとって、今日は約束をひとつ後回しにして、いままで自宅で休んでいました。
体調がよくないと、いろいろと考えることもあります。
人はいつも元気であるよりも、時に体調を崩し、自らの弱さに思いをめぐらすのは大きな意味がありそうです。
宗教哲学者の安藤泰至さんが、あるインタビューで次のように話しています。
人の「心」も、鬱的な症状なんてない方がいいし、妄想はない方がいい。不安だって、ない方がいいのかもしれない。なら、取ってしまえ、ということももちろんありますが、仮に取ることができたとして、取ってしまえばその人は健康かというと、果たしてそうでしょうか。人は、さまざまな面があって豊かになれる。
私もそう思います。
だから私は病気も健康のうちと考えていました。
風邪をひくといつも節子に話していました。
これから3日間は風邪菌に私の身体を提供するので3日間は風邪でいると。
そして4日目には、もう風邪はやめたと宣言していました。
節子はいつも笑っていましたが、節子の病気観は私と違っていました。
そして病気が節子を奪ってしまいました。
以来、わたしの病気観も変わりました。
健康的に付き合える病気もあれば、そうでない病気もある。
いまは病気が好きではありません。
病原菌に身体を提供するのは止めました。
だからしばらく風邪を引かなかったのです。
これから出かけますが、風邪がこじれないことを祈りたいです。
いつも3日では風邪は治っておらず、こじらせて大変になったこともあるからです。
今週は少し用事を埋め込みすぎました。
こういう時に限って、体調が崩れます。
こまったものです。
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