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2012/11/30

■経済成長と生活向上

選挙の争点はいつの間にか、原発、消費税、TPPになってしまいましたが、政策に関しての国民の最大の関心は経済成長にあるとよく言われます。
そうした結果を示す世論調査結果も紹介されています。
また多くの政治家も、意経済成長がなければ何も解決できないとよく言います。
私はその言説に真っ向から反対です。
そもそも「経済成長」とは何かをわかっていない議論だからです。

国民の生活にとって、経済成長がいいはずなどあろうはずがありません。
なぜなら経済成長といった場合の、経済は「国民の生活からいかに収奪できるか」を意味しているからです。
かつて、経済が「経国済民」といわれた状況はもうありません。
いつか書こうと思いますが、「産業視点の経済」と「生活視点の経済」はまったく論理を別にします。
現在の経済はいうまでもなく「産業視点の経済」です。
「産業視点の経済」にとっての関心は「経済規模の拡大」、つまり「経済成長」です。
しかし、その意味での経済成長は生活の豊かさには無縁です。

たしかに私たちは、「もはや戦後ではない」と経済白書が書いた1956年から1990年ごろまで、経済成長と生活の豊かさの向上を並行して体験してきました。
そのため「経済成長」と「生活向上」とを重ねて考えがちですが、それは正しくありません。
たまたま両者が並んで進行しただけの話なのです。
日本で、いわゆる「公害」が話題になりだしたのは、1960年代からですが、その動きにすでに「経済成長」と「生活向上」の関係はしっかりと示唆されていたはずなのですが、私がそれに気づいたのは、1970年代半ばを過ぎてからでした。
おそらく多くの人も同じでしょう。
多くの人はなんとなく経済成長が生活を豊かにすると考え続けました。
学校でもそう教えていたはずです。
その結果が今の状況です。
にもかかわらず多くの人は今もなお「経済成長」に期待を寄せているわけです。

昨今の経済成長は金銭市場の大きさで測定されます。
たとえば、私も兄もそれぞれが所有する持ち家に住んでいますが、それぞれ家を変えて、賃借契約を結べば、金銭のやり取りが発生し、金銭市場は拡大し、経済成長に寄与します。
しかし、そこから何か新しい価値が生まれるわけではありません。
経済成長とはそういうものです。

市場規模を拡大する経済成長を実現するポイントは、技術革新でも生産力増強でもありません。
ケインズが見抜いたように、需要の増大です。
そのためには、ドラッカーが提唱したように顧客の創造が必要です。
経済成長には顧客創造が不可欠なのです。
しかし顧客になったところで、生活が豊かになるわけではありません。
豊かになったような気分を味わえるかもしれませんが、それで失うものも忘れてはいけません。
ケインズもドラッカーも、生活の人ではないのです。
私は「顧客的人生」は送りたくありませんから、他者を顧客にしようなどとは思いません。
自らが望まないものを他者に押し付けるのは、私の信条に反します。

経済成長神話から、そろそろ抜け出なければいけません。
産業のための仕事ではない、生活のための仕事を探さなければいけません。
一昨日、茨城県の小美玉市の人たちと会いましたが、そこでは年収100万円もあれば、そして豊かに生きる意欲があれば、実に豊かな生活ができるそうです。
たぶん50万円でも大丈夫かもしれません。
経済成長などしなくても、豊かさは手に入るのです。
経済のパラダイムシフトが求められていると同様、私たちの生き方の見直しが求められているような気がします。
経済成長は生活向上とは別のものであると考えると、きっと生き方も変わっていくでしょう。
そう考えれば、いま話題の選挙の争点の答は明確です。

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