■解散権は誰が持っているのか
解散権は首相の専権事項であり、しかもその時期に関しては「嘘をついても許される」と言うのが、いまの日本の政治制度では常識のようです。
しかし、これはおかしいのではないかという気がしてなりません。
内閣支持率が20%前後になってもなお、政権の座にいられるというのも納得がいきません。
ルソーは著書の中で、「イギリス人が自由なのは選挙のときだけで、議員が選ばれるや、すぐにその奴隷に帰してしまう」と書いているそうですが、まさにそんな気がします。
つまり、近代民主主義に基づく選挙とは期間限定の独裁者を選ぶ「ハレのお祭り」ともいえるわけです。
でもそうであってはいけません。
昔の王国では、適切でない国王は解任され、時には殺されたそうです。
そうした危機感があればこそ、善政が期待できるわけですが、国民の8割が不支持になっても権力が維持されるのでは、危機感は生まれないでしょう。
将来のためにいまの世代に嫌われることをやるのだという説明も何となくもっともらしさがありますが、「将来のため」ということは独断でしかなく、まさに独裁者が好むセリフです。
実際には、せいぜいが「自分の将来のため」でしかありません。
それが言いすぎなら、「国家の将来のため」だとしても、その国家とはだれのものかという課題にすぐにぶつかります。
民主党幹事長は、「いま解散したら間違いなく政権を失う」から解散すべきではないと公言しています。
つまり自らの正当性のなさをみとめているわけです。
選挙になったら間違いなく政権を失うからこそ、解散しなければならないという視点がないことにこそ、問題の本質があるわけです。
組織のためにのみ生きてくると、そうなってしまうのでしょう。
解散権は、いうまでもなく国民がもっています。
それが国民主権の意味ですが、制度は時に「違憲」でもあるのです。
解散権は首相の専権事項などという俗説を信じてはいけません。
憲法学者が何も発言しないのは、彼らが完全な御用学者だからでしょう。
同情を禁じえません。
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