■節子への挽歌1912:病院での節子との時間
節子
今日もまたほぼ病院にいました。
先週もそうでしたが、わが家では火曜日は病院の日になってしまった感があります。
今日は、私は患者ではなく付き添いです。
病院は今月開院した近くの名戸ヶ谷あびこ病院です。
とても雰囲気のいい明るい病院です。
新しいので清潔感もあり、スタッフの動きもきびきびと、まだ緊張感がありました。
受付時間を少し過ぎて病院に着いたのですが、親切に対応してくれました。
そういえば、あの頃は節子と2人でよく病院で過ごしました。
ともかく待ち時間が長く、長い時には2時間以上も待ったことがあります。
けだるさと哀愁があふれたガン病棟の待合室での時間は、あまり体験したくないことですが、しかし、今となってはなんとも言いようのない、不思議な幸せな時間だったかもしれないと思えるようになってきました。
隣に節子がいたからという意味ではありません。
時間だけではなく、思いを共にする幸せです。
心がひとつになっていたことはいうまでもありません。
私たちだけではありません。
そこには、不安と悲しみと同時に、何となく平安な静寂もまたあったような気がします。
患者同士の、あたたかな思いやりや心配りもありました。
それに明らかに、時間の進み方が違っていました。
少し前までは思い出すことさえおぞましい感じだったのが、今はあったかささえ感ずるのはなぜでしょうか。
人の思い出は時間とともに変化するようです。
久しぶりに病院で半日を過ごしましたが、なにやら6年前のことをいろいろと思い出してしまいました。
私にとって、病院はまた安堵できる場になってきたようです。
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