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2012/12/29

■みんなそろって愚民化というかなしい現実

気のせいでしょうか、大飯原発敷地内の断層を調べる原子力規制委員会の専門家チームの発言が変わりだしてきているように思います。
昨夜の官邸前の反原発デモには雨にも関わらず、多くの人たちが集まったようですが、大きな流れは反転してしまいそうで、かなしいです。

政府の原発推進論もかなり表面に出てきましたし、TPP参加の本音も出始めました。
安倍政権は急速に展開していく感じです。

安倍政権に与えられた使命は、「愚民化の推進」だと私は考えています。
前回の安倍政権で行った教育基本法の見直しは、私には恐ろしい予兆でしたが、その張本人がまた蘇ってくるとは思ってもいませんでした。
おぞましい話です。
教育はますます思考しない国民を増やしていくことになりかねません。
学校は教育の場ではなく、飼育の場になるのでしょうか。
しかも、本を読む人も少なくなり、そうした何も考えない人間同士の無意味な痴話話の交換が情報空間を覆いだしています。
実にかなしい話です。

ちなみに、「かなしい」とは、「愛(かな)し」という用法があったように、本来は後ろ向きの言葉ではなく、前に進む言葉だと私は捉えていますが、一応、ここでもそういう思いで使っています。蛇足ながら念のため。

愚民化は急速に進んでいます。
私がかなしまずにあわれむのは、いわゆる「知識人」やリーダーと言われる人たちの愚民化です。
しかし、リーダーが愚かであればそれに従う民が愚かになるのは当然です。
むかし「1億総中流化」という言葉がありましたが、まさにいまは「総愚民化」に向かっています。
すべての人が愚かになれば、愚かという概念はなくなります。
みんなで渡れば恐くないと同じく、みんな愚かになれば賢さが得られるのです。
愚かさが賢さに代置される時代になってきているのかもしれません。

口では原発反対を言い、投票では自民党に投票する。
その矛盾に気づかないほどの愚かさは、賢さにも通じています。
正義や真実を体現するのは、いつの時代も愚かな行為と言われていたことを考えると、愚民化ではなく相変わらずの愚民状態の維持が、安倍首相に与えられた使命かもしれません。
そういう強い役割がなければ、ゾンビのように彼が戻ってくるはずがありません。
天の力も、あまり期待できなくなりました。

人が個人としての主体的な判断力を持ち始めたのは、20世紀も、かなり後半になってからではないかと私は最近思いだしています。
そう考えなければ、歴史に書かれていることがどうしても理解できないからです。

インドで暴行された女性が自殺しました。
不謹慎な言い方ですが、愚民から抜け出す歴史の流れを感じて、少し安堵しています。
日本は、まさに逆行しだしているようには思いますが、
だから実にかなしいのですが。

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