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2012/12/30

■節子への挽歌1946:「みずから」と「おのずから」の「あわい」

節子
東尋坊の茂さんと川越さんから、美味しいお餅が送られてきました。
今年後半はお会いする機会がなかったのですが、東尋坊で自殺防止の活動を続けています。
茂さんたちとのこんなに深く付き合うことになるとは思ってもいませんでしたが、それは節子も一緒に食べた東尋坊での美味しいお餅が始まりだったのです。
その美味しいお餅が届きました。

東尋坊で、茂さんたちと出会ったのは、節子が旅立つちょうど1年前でした。
なぜ東尋坊に行ったのか、そしてなぜ思いがけずに茂さんたちと出会ったのか。
考えてみると、そういう不思議なことはたくさんあります。
日本人は「みずから」と「おのずから」の間を生きていると、竹内整一さんは言っていますが、私の人生もそのとおりでした。
東尋坊に行ったのも、そして車を降りたその前に茂さんたちが偶然にいたのも、「みずから」と「おのずから」の「あわい」の結果でしょう。
節子がいなくなった空隙をうめるように、この活動に誘い込まれました。

「みずから」と「おのずから」の「あわい」。
人生を振り返れば、そうしたことがたくさんあります。
節子との最初の出会いも、そのひとつですし、結婚もそのひとつです。
そうであるならば、節子との別れも、そうかもしれません。

まさか節子がいない世界に、これほど生きるとは思ってもいませんでしたが、それもまたそうかもしれない。
天は慈愛に満ちていると同時に、非情でもあります。

節子
今年もユカが花を生けてくれました。
昨年と違って、今年はかなり抑え目ですが、ユリをたくさんいれてくれました。
大掃除はまだすんでいませんが、ジュンも手伝いに来てくれています。
大掃除のたびに、節子の残したものが、少しずつ消えていきますが、ゆっくりと消えていくので名残惜しさを味わえるようになって来ました。

「みずから」と「おのずから」の「あわい」のなかで、私の世界も動いています。

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