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2012/12/13

■節子への挽歌1924:泣くより笑うほうがいいですか

節子
今日はTさんから元気をもらったので、もうひとつ書きます。
なにしろまただいぶタイトルの数字がずれてきてしまっていますので。

綱島梁川という思想家は、「悲哀はそれ自らが一半の救なり」と言ったそうです。
柳田邦男さんも、著書の中で、「悲しみの感情や涙は、実は心を耕し、他者への理解を深め、すがすがしく明日を生きるエネルギー源となるものなのだと、私は様々な出会いのなかで感じる」と書いています。

「悲哀は一半の救なり」などとは少し前までは考えてもいませんでした。
しかし、いまはそれがよくわかります。
涙した後のすがすがしさやあたたかさは、私も何回も経験しています。

涙は決して、不幸なものではありません。
それはただ自らの素直な思いや感情の表現でしかありません。
涙が出るのは悲しい時だけではありません。
うれしい時も、怒った時も、楽しい時も、涙は出ます。
喜怒哀楽の表現なのです。
男は人前で涙を見せてはならないと言われますが、号泣はむしろ好意的に受け止められます。
涙は、人が有する豊かな感情の表れなのです。
だとしたら、人はどんどん泣くのがいい。
涙をふんだんに流すのがいい、と私は最近思います。
泣くのも笑うのも、同じことなのです。

そうは言っても、泣くよりも笑うほうがいいと多くの人は思うでしょう。
私も、つい最近まではそうでした。
それに、笑うことは生命の免疫力を高めるとも言われます。
そうであれば、泣くより笑うことがいいでしょう。

でも、泣くことの効用も大きいように思います。
泣くこともまた、生命の免疫力を高めるのではないか、私は最近、そんな気がします。
むしろ、笑うよりも泣くほうが、心身を浄化し、豊かにしてくれるかもしれません。

涙の効用は、ことのほか大きいのです。
悲しかったら泣きましょう。
それも、堂々と泣きましょう。
涙をこらえることなどせず、大河のように涙しましょう。
泣いていると、心が安らぎ、心身があったかくなってきます。
その効用も、節子が教えてくれました。

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