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2012/12/26

■節子への挽歌1942:悲嘆の癒し

節子
今日の寒さはまた格別です。
寒くなると、なぜか節子を思い出します。

死別によって遺された者の動揺や衝撃は、時間の経過とともに静まっていくが、悲しみや寂しさは、むしろ月日とともに、深く澱んで、折にふれては浮かび上がり、消えることはない、と竹内整一さんは書いています。
静まっていくが、消えることはないのです。
最近、改めてそう思います。
まもなく、6回目の新年を迎えようとしているのに、心身の寒さは一向に戻りません。

根源的な意味での「悲嘆の癒し」とは、悲しみを消すのでなく、むしろ悲しみを土壌にして、新しい「生きていく自分」をつくる仕事である、と、柳田邦男さんは『「死の医学」への日記』に書いています。
この種の本は、節子が病気になってからは読めずにいましたが、最近、漸く、読む気力が出てきました。
「遺された者にとって、死が辛く悲しい。しかし、悲しみのなかでこそ、人の心は耕されるのだ」という、同じく柳田邦男さんの言葉も、最近は素直に心に響くようになってきました。
私も、少しずつですが、「悲嘆の癒し」を受けて、心が耕されてきているようです。
人の思いの向こう側も、最近は少し見えるような気がします。
それが生きやすいかどうかはわかりませんが、やさしさは高まっているように思います。
節子がいた頃よりも、もしかしたら「良い人」になってきているかもしれません。
悲嘆は、最初は自分だけの悲嘆ですが、深く沈むにつれて、他者の悲嘆も引き受けていきます。
他者の悲嘆を引き受けることで、自らの悲嘆を相対化していく。
グリーフケアは、そうした「悲嘆の癒し」なのかもしれません。
そして、やさしくなれます。
心は平安になっていきます。
しかし、寒さだけはやわらぎません。

今日もまた、あまりに寒く、まだ「新しく生きていく自分」の芽を出せずにいます。
寒さに凍えなければいいのですが。
それにしても、6回目の冬は寒すぎますね。

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