■節子への挽歌1932:烈しい悲しみ
節子
節子が、死を恐れていたという記憶がまったくないのは、考えてみると不思議なことです。
節子が悲しんだのは、私たちとの別れでした。
だから「恐れ」の感覚はなく、「悲しさ」の感覚だったのです。
節子は、死に対して、実に淡々としていました。
「死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去ることができない」というようなことを、小林秀雄は、本居宣長の死の「かなしみ」を論ずる中で、書いているそうです。
しかし、「烈しい悲しみ」を持つのは生者よりも死者と言うべきでしょう。
なぜなら、死者はすべての生者との別れをしなければいけないからです。
しかも、死者は誰ともその悲しみをシェアできないのです。
小林秀雄の視点は、死者にではなく、生者にしかありません。
死者の視点に立てば、「生者は、死者に烈しい悲しみを与えなければ、死者をこの世から旅立たせられない」ということになるでしょうか。
しかし、この文章は、明らかに間違っています。
死者を悲しませることなく旅立たせることができるからです。
たくさんの人に看取られながら、天寿を全うする場合はそのひとつです。
だとしたら、「死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去る事が出来ない」というのも、また間違いかもしれません。
むしろ、そうした思いの呪縛から解き放たれることが、死者にも遺される生者にも大切なのかもしれません。
たしかに、愛する人を見送った後に襲ってくる烈しい悲しみはあります。
しかし、それは、遺された生者を救うためかもしれません。
悲しみの中で、死者を思い続けられる力を育てられるからです。
そして、その悲しみこそが、死者とのつながりを守ってくれるのです。
烈しい悲しみに曝された後、そのことに気づきます。
人の感情は、実にすばらしく仕組まれています。
悲しみもまた幸せに通じています。
烈しい悲しみは、人の世界を豊かにしてくれるものでもあります。
最近、死の豊かさが、少しわかってきたような気がします。
すべての人が、「死」においてつながっていることも。
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