■節子への挽歌1919:悲しみから抜け出るのは「不人情」
竹内整一さんの新聞記事に、西田幾多郎の話が紹介されていました。
それで思い出して、西田幾多郎の「思索と体験」の「『国文学史講話』の序」を読み直しました。
すっかり忘れていましたが、何回も読み直しました。
愛娘を亡くした西田幾多郎の思いが、こう語られています。
人は死んだ者はいかにいっても還らぬから、諦めよ、忘れよという、しかしこれが親に取っては堪え難き苦痛である。時は凡ての傷を癒やすというのは自然の恵であって、一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である。何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、せめて我、一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である。あの西田幾多郎もそうだったのだ、いや、西田幾多郎だからこそそうだったのだろうなと思ったら、わけもないのに少しうれしくなりました。
この悲は苦痛といえば誠に苦痛であろう、しかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである。
娘と妻の違いはありますが、「忘れたくない」と思うのが当然だと確信できたからです。
悲しみから抜け出るのは「不人情」だと思っていた私の気持ちがなんだか肯定されたような気がしたのです。
まわりの「薄情な友人知人」に読ませたいものです。
西田幾多郎といえば、『善の研究』で有名な哲学者であり、私にはなかなか消化し難い気がして、この数十年、きちんと読んだこともないのですが、なんだか今なら読めそうな気がしてきました。
書棚のどこかにあるだろう『善の研究』を探して、改めて読んでみようと思います。
ちなみに、彼がこの小論を書いたのは明治40年だそうです。
いまから100年近く前のことです。
人の情は変わらない、ということも確認できて、とても気が休まりました。
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