■節子への挽歌1916:軽井沢はもう雪です
節子
今日は軽井沢で企業の人たちと合宿です。
そろそろこの活動もやめようかと思っていますが、そう思いながらもまだ続けています。
今朝は雪が3センチほど積もったそうです。
このホテルには毎年、何回か来ていますが、考えてみると節子と一緒に軽井沢に来たことはありませんでしたね。
節子とはいろいろなところに行きましたが、なんで来なかったのだろうかと思うところも少なくありません。
軽井沢も、その一つです。
まだ娘たちが子どもの頃、奥軽井沢や中軽井沢で夏を過ごした記憶がありますが、あんまり記憶が定かではありません。
私は自分の人生に関する記憶が実に希薄なのです。
真剣に生きていなかったわけではないのですが、過ぎたことにはほとんど興味がないのです。
節子との思い出も、例外ではありません。
しかもわずかの思い出も、あまりリアリティがないのです。
節子との思い出は、私にはみんな夢のようです。
そんなことを考えていたら、なんだか節子と一緒に軽井沢に来たことがあるような気がしてきました。
駅前の蕎麦屋さんで蕎麦を食べたような気もします。
人の記憶など、実にあいまいですね。
節子は私とは反対で、思い出をしっかりと残すタイプでした。
私たちは、その点でも役割分担していたのです。
だから以前のことを思い出す必要があれば、節子に訊けばよかったのです。
私にとって節子は記憶バンクの一つでもあったのです。
節子だったら、私たちが一緒に軽井沢に来たかどうかを覚えているでしょう。
私の過去の記憶が曖昧なのは、昔からだったような気もしますが、もしかしたら、節子がいなくなってからのことかもしれません。
そんな気もします。
脳がそうしてくれているのかもしれません。
節子との思い出があまり明確すぎるとその思い出から抜け出せなくなるからかもしれません。
いずれにしろ、人の記憶は不思議です。
明日は今日よりももっと寒くなるそうです。
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