■節子への挽歌1917:もしかしたらまた胃腸炎?
節子
昨日また腹痛の予兆があり、大事をとってゆっくりと過ごしています。
先の胃腸炎は、ウィルス性かと思っていましたが、もしかしたら神経性かもしれません。
いろいろと心当たることもあるのです。
昨日、軽井沢から戻ってきて、パソコンを開いて、ある情報に触れた途端に軽い腹痛がやってきたのです。
そういえば、26日もそうでした。
この半年、私にはまったく相応しくない問題にコミットしてしまったのが、いささか人生を狂わせてしまっているのです。
もし節子がいたら、たぶんこの問題をシェアしてくれたでしょうから、胃腸炎は起こらなかったかもしれません。
いや、あるいは節子が胃腸炎を起こしていたかもしれません。
そう考えてハッと気づきました。
もしかしたら、私のわがままな生活のために、節子が病気になったというのはまんざら根拠がないわけではないな、と。
私の悩みや心配を、節子はもしかしたらすべて引き受けていたのかもしれません。
だから私はこうまで楽観主義でいられたのかもしれません。
もちろん私も心配で眠れないという体験はありました。
そういう時、節子に八つ当たりしたり、節子に救いを求めたり、そんなことをしていたような記憶もあります。
節子は、どんな問題であろうと、私の問題はシェアしてくれていました。
もちろん私も節子の問題はすべてシェアしていました。
困った時には相手が解決してくれるだろうと私たちはお互いに確信していたのです。
だから2人とも同じだと思っていましたが、その受け取り方は違っていたかもしれません。
節子は、よく「修は口だけだから」と嘆いていたのを思い出します。
私にとっては、それはいささか不満な評価ではありますが。
きっと節子のほうが、大変さを多く引き受けていたのです。
だから病気になってしまった。
悩みをシェアするといっても、必ずしも半々のシェアではないのです。
なぜそれに気づかなかったのか。
そういえば、節子はこんな言葉も時々言っていました。
「だれもが修と同じではないのだから」と。
私は、自らにもそれなりに厳しいですが、他者への要求や期待も大きかったのです。
そのくせ他者からの要求や期待には必ずしもきちんと対応できていませんでした。
今でこそかなり寛容になっていますが、むかしはかなり要求の強いタイプだったのです。
それを正してくれたのも節子ですが、それと引き換えに、節子は病気になったのかもしれません。
胃腸炎の予兆で休んでいたのですが、逆にますます胃腸が痛み出すような気がします。
ビオへルミンを飲みました。
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