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2012/12/02

■節子への挽歌1910:胃腸炎のなかで考えたこと

節子
2日間の完全療養で、胃腸炎はほぼ回復しました。
まだ食欲は戻らず、心身の違和感は残っていますが、かなり正常化してきました。
しかし1週間ほど、なにもしない怠惰な生活をしていたせいか、怠惰さは直りません。
まあこれも自然の流れに任せましょう。
今日は湯島に出かける予定です。
フォワードカフェがあるからです。
今の私は、まさに参加適格者でしょう。
前に進もうかどうしようかと迷っている状況ですし。

もっともこの1週間、何もしていなかったわけではありません。
挽歌は書きませんでしたが、書く以上にいろいろなことを考えていました。
節子も同じように、話せず書けずの時には、いろいろと考えていたことでしょう。
人は、話せない時、書けない時のほうが、よく考えているのです。
それにも思いは至りました。
人はやはり、その立場にならないとなかなかわからないものです。
しかし、同じ立場になど、実はなれるはずもありません。

節子は私たちに話したいこと、書き残したいことがたくさんあったでしょう。
でも話も書くこともできなかった。
その思いを私はきちんと受け止めていたでしょうか。
その答えは間違いなくノーです。
私は、それを受け止めずにいたのです。
いくら悔いても悔い足りないほどの悔いがこみ上げます。

しかし、節子はそれを非難していたでしょうか。
悲しんでいたでしょうか。
いささかの迷いはありますが、この答えもノーです。
節子は私を全面的に信頼していました。
私も同じです。
ありのままの存在で、お互いに十分に満足していました。
人を信ずることの気持ちのよさを、私たちは感じていたと思います。

胃腸炎で心身の違和感を持ちながら、改めてそんなことを考えていました。
人を信ずることができる幸せを感じています。
節子はそれを教えてくれました。
人は信じなければいけません。
最近ちょっと挫けそうになっていましたが。

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コメント

>人は信じなければいけません。
>最近ちょっと挫けそうになっていましたが。

佐藤様、そうですね。信じなければ。
私も最近はずっと挫けていました。

彼は私が謝ることは何もないと言ってくれていました。
それでもなお悔いと孤独に喘ぐ日々が続いていたのです。
気がつくと謝る言葉ばかり。
そんな言葉は彼は望んでいませんね。

佐藤様のコメントにはっとさせられました。
ありがとうございます。

お体、回復されて何よりです。
お大事にしてください。

patti

投稿: patti | 2012/12/03 08:31

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