■節子への挽歌1929:節子がいたら選挙結果をどう思うでしょうか
節子
どうにもやりきれない気分です。
この気分を分かち合う人がいないのがつらいです。
何がやりきれないかといえば、今日の衆議院選挙の結果です。
午後8時に結果報道が始まりましたが、自民党のとんでもないほどの圧勝です。
まあ結果は最初からわかっていました。
実体のない政党に成り果てていた民主党と自民党の対立構図をマスコミが作り出していたからです。
民主党の議員も、その幻想から抜け出せませんでした。
政治に対してほとんど時間を割かないほとんどの日本国民は、最初から答のわかっている対立構図を押し付けられて、こちらがだめならあちら、あちらがだめならこちらというふうに、今回も振り回されていたのです。
まあそれはそれとして、しかし、実にやりきれない気分です。
節子がいたらさぞ嘆くでしょう。
いや節子なら、私のこのやりきれなさを受け止めてくれるでしょう。
私たちは、選挙の時にはよく話し合いましたが、節子は私よりも「生活的」でしたので、ある意味でラディカルでした。
必ずしも同じ政党や立候補者を支持していたわけではありませんでしたが、わが家は昔から必ず家族全員で投票に行くことになっていました。
以前は今ほど事前投票が簡単ではありませんでしたので、投票日はなによりも投票に行くことが優先されていました。
これは娘たちにも厳しく課せられていました。
それへの反発か、娘たちは誰に投票したかは公開しませんでしたが、わが家の家族が投票した立候補者が当選することはあまり多くなかったように思います。
少なくとも私と節子の支持者は落選することが多かったような気がします。
その点で、わが家はいささか社会の主流からは外れていたのかもしれません。
しかし、節子も私も、それなりにしっかりとした意見があったという自負はあります。
政治に関しても、節子とはよく話し合いました。
結婚した当時からそうでした。
結婚した頃、節子は政治に対する知識があまりありませんでした。
それでいささか知ったかぶりの私はさまざまな政党の主張や政策課題の話を節子にレクチャーしたものです。
節子はとても興味を持って、ノートまでしながら私の話を聞きました。
ですから節子の政治的価値観の形成には私が大きく影響しています。
しかし節子との話し合いの中で、理論中心の私の政治的価値観もまた大きく影響を受けました。
ですから、私たちは政治に関する話題も日常的にかなりできていたように思います。
もちろん生活用語で、です。
節子に、「マルチチュード」などと言っても相手にされませんので。
そうした日常的な政治の会話ができないことが残念です。
この選挙結果を見たら、節子はなんと言うでしょうか。
ぜひ聞いてみたいものです。
私の、このやりきれない気分が、私の独りよがりかどうかもきっと評価してくれるでしょう。
それにしても、やりきれない気分です。
テレビを蹴飛ばしたくなりましたので、テレビを見るのをやめました。
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