■節子への挽歌1913:野菜スープをつくりました
節子
家事は結構大変で、高度な仕事だということを実感しています。
ユカがダウンしてしまったので、私が家事をやる必要が発生しているのです。
しかしそれがなかなか難しい。
ユカは、お母さんから学んでいなかったのかと嘆いています。
娘たちがまだ小さな頃、夏休みに節子たちが滋賀に帰省し、私だけが1週間ほど残ることがありました。
節子は工夫して留守中の食事の用意をしておいてくれましたが、1週間の終わりごろには食べるものがなくなり、みんなが戻ってくれる頃には、私は餓死寸前でした。
自分で料理するくらいなら空腹を我慢したほうがいいというのが、当時の私のスタイルでした。
だから家事はすべて節子に任せていました。
だからといって、亭主関白ではありません。
ごみを出せといえば、出しに行きますし、お風呂を洗えといわれれば洗うのは厭いません。
でも自発的にやるのが不得手なのです。
先日、テレビで指示待ちの亭主の話を取り上げていましたが、娘はそれを見て、お父さんみたいだと大笑いしていましたが、それを否定できずにいました。
それでまあ、最近少しずつ反省して、家事に取り組みだそうと思っているのです。
洗濯機の使い方はやっと覚えました。
ただし、洗濯したものをせっかく干しても、干し方がわるいと娘に注意されます。
そのうえ、乾いた洗濯を取り入れても、たたみ方が悪いというのです。
親は褒めて育てるものだと言うと、娘は子どもの頃褒められなかったと反撃します。
困ったものです。
干し方やたたみ方など、どうでもいいと思うのですが、ユカは特に几帳面なので妥協してもらえません。
私の記憶では、節子はそんなに几帳面でなかったはずですが、なんで娘は几帳面になってしまったのでしょうか。
反面教師かもしれません。
調理に関しては、節子は私に教えようとしていました。
エプロンまで買ってくれました。
私も2度ほど、その気になりましたが、続けられませんでした。
不幸にして、娘が2人いると、何もしなくてもやってもらえるという甘えがぬぐえないのです。
これまた困ったものです。
私ほど、家事の面で楽をしている人はそうはいないでしょう。
それに感謝するとともに、その生き方を直す必要を感じ出しています。
それで今日は、ユカのために野菜スープをつくったのです。
おいしく作れました。
これから少しは調理もやろうかと、今は思っています。
明日になると気変わりするかもしれませんが。
しかし私が40年、毎日、快適に暮らせたのは節子のおかげだったことを改めて感謝しています。
家事を担当する主婦の存在は大きいです。
それをおろそかにし、主婦への感謝の気持ちを忘れた社会は壊れていくような気がします。
今度、節子に会ったらお礼を言わないといけません。
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