■節子への挽歌1934:「すばらしく豊かな時間」
節子
先月、節子の友だちの野路さんからリンゴが送られてきました。
すぐにお礼の電話をしたかったのですが、あいにく胃腸炎でダウンしていて、電話をしないままになっていました。
その後、何回か電話したのですが、ご不在でした。
野路さんは前にも書きましたが、いまリハビリ中で、たぶん夫婦で散歩に行っているか病院かなと思いながらも、うまくタイミングが合わずに、今日になってしまいました。
幸いに今日、電話したら、つながりました。
しかし、野路さんご本人ではなくて、娘さんでした。
野路さんご夫妻は、やはり散歩に出かけていました。
野路さんの記憶もすこしずつ回復されているようです。
とてもうれしい限りです。
娘さんと話しながら、ゆっくりと散歩している、幸せそうな野路夫妻の様子が目に浮かんできました。
私も病気になった節子と一緒によく散歩しましたが、その歩きのテンポは想像もしていなかったほどの「ゆっくりさ」でした。
最初はついつい私だけ足を速めがちでしたが、節子のリズムに合わせるようになると、そのゆっくりした歩調が、実に快くなってきました。
それはとても不思議な時間でした。
たくさんの人が私たちを追い越していく。
時間がまったく違うのです。もちろん風景も。
あの快感は、なんだったのでしょうか。
しかしおそらくもう二度と味わうことはないでしょう、
そんなことを思い出していました。
野路さんの娘さんは、野路さんのことに触れたこの挽歌を前に見つけて、読ませてもらったと話してくれました。
どの記事でしょうか。でも目にとめてもらってうれしいです。
野路さんご夫妻は、きっとすばらしく豊かな時間を過ごされているのでしょう。
そう思います。
人はみんな、「すばらしく豊かな時間」に恵まれています。
それに気づくかどうか、それが人生を豊かにするかどうかの分かれ目かもしれません。
節子と、ゆっくりと散歩した、あの時も、「すばらしく豊かな時間」だったのです。
そして、節子を見送ってから、毎日、挽歌を書ける今も、「すばらしく豊かな時間」なのです。
私も、「すばらしく豊かな時間」をもっと楽しまなければいけません。
しかし、なかなかそう思えないのは、なぜでしょうか。
人の欲深さは、際限がありません。
| 固定リンク
「妻への挽歌10」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2000:2000回を迎えました(2013.03.01)
- ■節子への挽歌1999:節子の手作り雛人形(2013.02.28)
- ■節子への挽歌1998:ルクソール(2013.02.27)
- ■節子への挽歌1997:記憶の共同体(2013.02.27)
コメント