■節子への挽歌1938:年末と言う気がしません
節子
今年も残すところ数日になりました。
ユカが入院したこともあって、今年は年越しの準備が手付かずになっています。
庭の植木の刈り込みもやる予定でしたが、ユカの入院を口実に年明けのばしてしまいました。
大掃除も手抜きになりそうです。
それはともかく、年末という感じがまったくないのです。
困ったものです。
節子もジュンもいた頃の年末年始は、いつもにぎやかでした。
両親がいた頃はもっとにぎやかで、私も買い物にまで借り出されたものです。
年末年始は、私にとっても家事に引きずりださえる忙しい時でした。
しかし、両親がいなくなり、節子がいなくなり、そしてジュンがいなくなるにつれて、年末年始もさほど変わったことはなくなってきました。
おせち料理も簡単になり、来客は少なくなり、家族の人数とともに年末年始もとくにハレの日ではなくなってきています。
いささかさびしい気もしますが、それもまた人生の当然の流れなのでしょう。
最近は年末年始に、読書さえできるようになりました。
節子がいるころには考えられないことです。
しかし、今年はあんまり読書する気分になりそうもありません。
なんとなくそんな気がします。
節子がいなくなってからの6回目の年越えですが、年末のせわしなさもなければ、年の終わりの感激も起きてきません。
年を越えるということの意味がなくなってしまったのかかもしれません。
それが少しさびしい気がします。
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