■節子への挽歌1923:挽歌のご褒美
節子
見覚えのないTさんという人からメールが届きました。
怪訝に思いながら開いてみました。
前略 佐藤さま。突然のメールをお許しください。どうやらこの挽歌を読んでくださった方のようです。
「節子へ」というブログを書いていらっしゃいますか。
間違っていたら申し訳ありません。
それだけでうれしい気分になるのもおかしな話ですが、正直なところ、節子のことをまた一人、知ってくれた人がいると思うと、何やらうれしくなってしまうのです。
ところが、読んでさらにうれしくなりました。
Tさんは、私が毎週かかさずに見ている「小さな村の物語イタリア」という番組のプロデューサーだったのです。
もう忘れていたのですが、昨年のはじめに、この挽歌でこの番組に触れたことがあったのです。
Tさんのメールは、その記事をある小冊子への寄稿文に引用してもいいかという内容でした。
もちろんお断りする理由はなく、むしろとてもうれしい話です。
Tさんはその寄稿する文章の原稿も添付してくださいました。
まだその小冊子は発行されていませんので、ここに引用することはできませんが、そこにとてもうれしい文章が書いてあったのです。
私の挽歌を読んでくださったTさんは、制作スタッフのみなさんに私の挽歌の記事を送ってくれ、こう付け加えてくださったというのです。
「このひとのために番組を作ろう!」と。
そんなこととは、夢にも知らず、私は毎回、その番組を見ていたわけです、
Tさんは、こうつづけて書いてくれています。
その編集方針はいまだに変わらない。
見えない相手だが、心は見える。
そこにそっと明かりをともすことができれば、それが私たちの仕事だ。
その明かりは間違いなく私に灯っています。
いまではテーマソングが頭から離れなくなっていますし。
挽歌を書き続けていると、思ってもいなかったこんな素敵なご褒美をもらえるものなのです。
最近どうも挽歌が書けなくなってきていたのですが、ちょっとまた元気が出てきました。
Tさん
ありがとうございました。
来週からもっと思いを入れて、番組を楽しませてもらいます。
また涙が出そうですが。
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