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2012/12/08

■「非武装による平和」と「脱原発による平和」を捨てたくはありません

フェイスブックには書いたのですが、改めてここでも書くことにします。
サバティカル休暇でロンドンで1年間過ごしていた知り合いの大学教授Oさんから聞いた話です。

Oさんは滞英中、日本の報道には触れず、現地の報道だけを見ていたそうですが、そこには日本の話題はほとんど出てこなかったそうです。
しかし、滞在中に一度だけ大きく話題になったことがあったそうです。
それは今週、日本の原発がすべて止まった時です。
ドイツはすぐに脱原発を決めましたが、しかし原発による電力をその後も使っています。
しかし、日本は原発によるエネルギーをすべてやめたわけですから、日本よりも原発に対する関心の強いヨーロッパでは、話題になるのは当然かもしれません。
日本では、すべての原発が止まっても大丈夫だということが当時あまり強く認識されず、相変わらず原発依存3割の認識でみんな考えていましたが(今もなぜかそうなっています)、その意味はとても大きいことをイギリスあるいはヨーロッパの知識人は認識していたわけです。
日本の「知識人」とはまったく違います。

Oさんによれば、当時、日本への評価や期待がとても高まっていたそうです。
憲法9条の平和宣言に続いての、第2の平和宣言というほどの、大きなインパクトがあったのかもしれません。
日本の国際的なステータスや発言力を高める絶好の機会だったのに、なぜすぐに大飯原発を再稼動してしまったのかとOさんは嘆いていました。
日本は絶好の機会を逃したわけです。
そういう情報を大きく流してくれたマスコミは、わたしの記憶ではなかったと思います。
日本のマスコミは、原発推進の政財界の中枢的な一画を担っていますから、当然だったかもしれません。

日本はいま、世界にとっては大きな未来への指針である、「非武装による平和」と「脱原発による平和」の2つの道を捨てようとしています。
自民党は国防軍(軍隊はすべて国防軍です)をつくることで、次の世代の徴兵を考えています。そのために、教育基本法もすでに変えてしまいました。
これも戦争好きなマスコミはあまり問題にすることはありませんでした。
民主党は原発輸出を進め、一時的な原発稼働率ゼロのお題目のもとに原発推進を目指しています。
そして国民の多くは、なぜかそうした政党を支持し、自らの子どもたちを戦争や被曝に向かわせようとしています。
私には、いまや日本は神に滅ぼされるソドムやゴモラになってしまったような気がします。
昨夜の地震は、その予兆ではないかと思ったほどです。

マスコミやテレビのコメンテーターたちの虚言に惑わされてはいけません。
今度の選挙くらい、論点が明確で、投票者を決めやすい選挙はありません。
にもかかわらず、マスコミは「選択が難しい」とはやし立てています。
お金まみれの彼らには、確かに選択は難しいでしょう。
しかし、生活の視点に立てば、選択はいとも簡単です。

経済よりも防衛よりも、生命をまもることです。
現世代の利便性ではなく、子どもたちの平安を願うことです。
子どもを思う親であれば、投票すべき相手は明確にわかるはずです。
それを混乱させるような、テレビの政治番組に騙されてはいけません。
子どもを戦争に行かせたくないなら、子どもを被曝させたくないなら、自民党や民主党、さらには維新の会に投票する気にはならないはずです。

これを書いている最中に、電話の無作為アンケートがかかってきました。
今度の選挙ではしっかりと原発反対に一票を投じます。
私が真剣に反原発に取り組んでいると思っている政党は、未来の党、新党日本、新党大地、社民党、それに山本太郎さんだけです。
共産党は理念としては反原発ですが、実際には原発推進派に加担していると思います。大義の前に小自にこだわっているからです。

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