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2013/01/17

■節子への挽歌1962:人生は実にさまざまです

節子
最近、いろいろな電話相談を受けています。
それでまた2日間、挽歌が書けませんでした。
相談を受けても的確な解決策をアドバイスできるわけでもありません。
しかし、私と話しながら、自分の考えを整理することができるとすれば、私も少しは役立っています。
同時に、そうした相談の電話で話しながら、私自身もいろいろと考えることができます。

昨夜の電話は、自死遺族の方からでした。
自ら自死遺族を中心としたネットワークを立ち上げて、活動している人ですが、最初の立ち上げにささやかに関わらせてもらったこともあって、考えたいことがあると連絡してくるのです。

今日も自殺者の数が3万人を下回ったというような報道がされていますが、最近は自殺問題も社会の問題として取り組まれだしています。
行政面でもさまざまな仕組みや制度が整備されだしています。
しかし、制度が整備されればされるほど、当事者にとっては、悩みも生まれてきます。
制度と実態とのずれを感ずるのです。
昨夜の電話でも、とても誠実に対応してくれるのだが、やはりなかなか当事者の思いはわかってもらえないという言葉も出ました。
当事者の立場に立ってとは、言葉ではいえますが、実際にはほぼありえないことです。
私は、当事者の立場にはなれないということをいつも自覚しながら、付き合うようにしています。
これは、節子との別れを体験してから、心底、そう思ったからです。
愛する人を喪った人の気持ちなど、わかりようがないのです。
人によって、それぞれまったく違うでしょうし、第一、実は「わかってほしくなどない」という思いが心身の奥底にあるのです。
しかし、人の気持ちは複雑で、「わかってほしくなどない」という思いと同時に、「わかってほしい」という気持ちもあるのです。

昨日の電話の相手も、もしかしたら同じように思っているかもしれません。
いろいろな問題の相談に乗っていると、すべてが自分の問題のように思うこともあります。
だからとても疲れますし、時に逃げ出したくなります。
節子がいたら、私の相談に乗ってくれるのですが、それができないので、時にへこたれて、動けなくなることもあるのです。
そんなわけで、この2日間、挽歌は書けませんでした。

節子
人生は実にさまざまです。

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