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2013/01/20

■節子への挽歌1966:朋友の訃報

節子
小学校時代、一番良く一緒に遊んだ2人の友人がいます。
バタとノザと言います。
節子はノザには何回か会っていますが、バタにはあったことがありません。
ノザもバタも、私の母親も良く知っています。
2人とも天性のお人好しで、しかもシンプルな自然人でした。
子どもの頃はお互いによくそれぞれの家で遊んでいたからです。
しかし、大学卒業後はあまり交流がなくなりました。
あまりに親しいと会わなくてもいつも会っているような気がして、しかしそのうち疎遠になってしまう、そんな関係でした。
しかしどこかで深くつながっている縁を感じあっていたように思います。

バタは有名な日本画家の孫でした。
その家は大邸宅でしたが、今は区に寄付されて公開されています。
そこの庭の一角のジャングルのようなところでよく遊んだものですが、当時はまだおじいさんもご存命で、作画に取り組んでいる姿をお見かけしたこともあります。
そのバタの訃報が届きました。
昨年、同窓会の幹事をしてくれていましたが、私は参加しませんでした。
電話では話しましたが。元気そうでした。
最近会っていないので、会いに行こうかと思っていたところでした。
訃報とは思ってもいませんでした。
どうも実感が持てません。

実はもう一人のノザは、数年前に亡くなっています。
ノザは声楽家の息子でした。
節子と一緒にやっていた湯島のオープンサロンに時々来ていました。
節子が発病し、私自身が社会との接点を疎かにしてしまっていた頃、ノザは急逝してしまいました。
葬儀に行く気力が起きませんでした。
いつかお参りに行こうと思いながら、行っていません。
お墓参りをしなければ、まだノザが元気でいる世界が続くからです。
バタの葬儀にも、もしかしたら行けないかもしれません。
いままでもほとんど会うことはありませんでしたから、葬儀に行かなければ、バタもまだ私の世界では生き続けていることになります。
そう思うと、ますます行かないほうがいいような気がします。

ノザもバタも、お互いにもう少し老いてから、子ども時代に戻っての付き合いが再開されるはずでした。
しかし2人とも、それを待たずに逝ってしまいました。
薄情な友です。
静かに冥福を祈りました。
最近は、気が萎えることが多すぎます。
私への迎えも近づいているのかもしれません。
現世でやるべきことは、少し急いだほうがいいようです。

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