■節子への挽歌1964:鎮魂の祈り
節子
阪神大震災から18年目です。
鎮魂の祈りを見ていて思うのは、やはり時間は人を癒すことはないのだろうなということです。
だからこそ、鎮魂の祈りという形で、制度化し儀式化しないとやりきれないのかもしれません。
それが「鎮魂」ということだといわれそうですが、鎮魂は一人では完結しないということです。
そして鎮魂の輪はむしろ広がっていきます。
祈っている人の思いは、画面を通してでも伝わってきます。
鎮魂の場では、自然に涙が流せます。
鎮魂の場では、自然に悲しみを言葉にできます。
そして、鎮魂の場では、鎮魂の祈りが開かれていく。
つまりうちに戻ってこないのです。
そして祈りとして大きく育っていくような気になれます。
節子は家族に看取られたとはいえ、一人で旅立ちました。
心細かったかもしれません。
みんなの鎮魂の祈り。
見ていて、少し羨ましさを感じてしまいましたが、そうではなくて、この鎮魂の場に節子も私も当事者としているのだと言う、あまりに当然のことに気づきました。
鎮魂は、すべての人のためにあるのです。
これまで阪神大震災にしろ、御巣鷹山にしろ、原爆の日にしろ、誰かのために祈ることはあっても、いささか他人事だったのではないかと、反省しました。
鎮魂の祈りは、すべての人にとって同じ意味を持っているのだと、やっと気づいやのです。
魂は、すべてつながっているのです。
なぜこれまでそれに気づかなかったのか。
なんという愚かさでしょうか。
阪神大震災は大きな事件でしたが、鎮魂の祈りは毎日、どこかで誰かによって行われています。
それらは、多分みんな深いところで同調しているのでしょう。
朝の祈りは、節子のためだけではないことを思い知らされました。
竹筒に入ったロウソクの火のゆらぎが、大日寺のロウソクを思い出させてくれました。
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