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2013/01/20

■節子への挽歌1967:覚悟がないと観られない番組もあります

節子
前にも書いたことがありますが、「小さな村の物語 イタリア」というテレビ番組があります。
放映時間の関係で、なかなか観られないのですが、毎回、録画して残しています。
今日、最新のものを見ました。
タイトル通り、イタリアの小さな村で暮らすさまざまな人の人生の物語が毎回語られます。
私のお気に入りの番組なのですが、実は観る時には、それなりの覚悟が必要なのです。
なぜかというと、必ず節子を思い出してしまうからです。

そこで語られているのは、華やかなドラマではありません。
しかし深い人生の意味が伝わってくる、真実の物語なのです。
だから、どうしても節子のことを思い出してしまうのです。
そして、節子がいたらこう言うだろうなとか、節子がいたら私たちの生き方をこう変えるだろうなというようなことが頭に浮かんできます。
それは結構辛いことでもあるのです。
だから覚悟がいるのです。

さまざまな人が登場しますが、共通しているメッセージがあります。
人のあたたかさや生きることの幸せさです。
毎回、生きることの喜びや豊かさが感動的に語られます。
その人の人生を背負った言葉なので、たとえ聞いたことのある言葉でも、時に涙が出てくることも少なくありません。

138話の主人公の一人は村で雑貨店をやっている65歳のエンマ・ジュランディンさんでした。
交通事故で孫を喪いそうになったとき、村人たちの祈りで、孫は奇跡的に元気になりました。
以来、彼女は生き方が変わったといいます。
人は、死を身近に体験すると人生観が変わります。
彼女は孫を喪いませんでしたから、私とは違うはずです。
しかしジュランディンさんの話は、私の心にも響きました。

もう一人の主人公は木材会社をやっているアルド・パインさん。
家族みんなでの豊かな食卓を前に、アルデさんは「昔はスープだけだった」と子供たちに話します。
アルデさんは18歳のときに、両親になぜわが家は貧しいのかと反抗したそうです。
その時、両親は「これ以上、何が必要だ」と応えたそうです。
その言葉を今も忘れないと、アルデさんは語ります。

子供たちと遊ぶアルデさん。
孫を送り出すジュランディンさん。
2人とも、となりには伴侶もいます。
とても幸せそうで、豊かそうです。
観ていて、私までもがあったかくなります。
でも、何かが欠けている。
だから、この番組は覚悟がなければ見られないのです。
でも不思議なことに、節子の世界にもつながっているような気がして、観ないわけにはいかないのです。

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