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2013/01/13

■節子への挽歌1957:彼岸との距離

節子
気相の哲学の話をもう一回書きます。
気相の哲学の根底にあるのは、世界を構成しているのは「気」であるという考えです。
人間の心身を創りだすのも「気」です。

陰陽五行説では、宇宙の根本物質は気であるとされますが、気はつねに動いていて、それによって凝縮・凝固という相転移が現われ、それが世界の物質を構成しているとされます。
相転移は、水と氷と水蒸気のように、熱によって、全く別の物質相に変化するということです。
気は液体にも固体にもなるのです。
魂も気から構成されているとされます。
つまり、すべてのものが気によって作り出されているわけです。
しかも、その気は、世界を自由に動き回ります。
呼吸を通して、すべての生命は世界につながっています。
ある意味では、「気」こそが「大きな生命」と言ってもいいでしょう。

桑子さんは「気相の哲学」のなかで、「心のはたらきは、世界を構成する気の一部が集合し、なかでも精妙なはたらきをもつ魂と魄が合流して身体を統率するときに生じるのです」と書いています。
死は、魂と魄が分離によって説明されます。
魂と魄の合流も分離も気の働きの結果です。

私たちは呼吸することで生きていますが、呼吸とは「心身と世界との間での気の循環的交換」と言ってもいいでしょう。
その循環が途絶えてしまうと、魂と魄は分離してしまいます。
あるいは魂と魄が分離してしまうと、気の循環は滞ってしまいます。
こうして、個々人の心身は世界とダイナミックにつながった存在なのです。
生きるとは、そうしたダイナミックな交流活動なのです。

長々と小難しいことを書いてしまいましたが、要するに個人の生命は決して孤立した存在ではないということです。
そして同時に、人の死は何かがなくなることではなく、気の循環の中に心身を戻していくということになるのです。
朱子学では死後の魂の存在は認めないようですが、気相の哲学の発想では、死もまた気の循環の一つの過程なのです。
そして、なによりも重要なのは、気を通してすべてのいのちは時空間を超えてつながっているということです。
彼岸とは、そうした気の大きな流れのことなのかもしれません。
だとしたら、彼岸と此岸とは折り重なっている構造なのです。
それがどうしたと言われそうですが、彼岸とつながっている世界に生きていることを実感すると、心がとてもやすまるのです。

そして、気を通して、すべてのいのちがつながっていることに気づけば、「他の生命とともに生きているという知覚による喜びの感情」が生まれると桑子さんは書いています。
本書を読んで、少しだけ、節子に近づいたような気がします。

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