■節子への挽歌1948:みんなの幸福
節子
今年も初日の出は雲が多くて、すっきりしませんでした。
気のせいか、節子がいなくなってから、こういうことが増えた気がします。
今日は家族みんなで子の神様に初詣しました。
年々、賑わってきていますが、幸せそうな表情があふれていて、初詣の場にいるだけで幸せになります。
昨年、ある本で宮沢賢治の「薤露青」という詩を知りました。
この詩は、下書されたのち、全文を消しゴムで抹消されたものだったのが、後で研究者の手により判読され詩集などに収められたものだそうです。
「薤露青」とは難しい文字ですが、「薤」は「にら」です。
薤(にら)の葉についた露の青さということですが、人の世のはかないことや、人の死を悲しむ涙のことを指すのだそうです。
そして、「薤露」には「挽歌」の意味もあるそうです。
賢治は、妹のトシをとても愛していました。
その病状を歌った「永訣の朝」は、私も節子も、とても好きな詩でした。
トシを見送った後、賢治はいくつかの挽歌を書いていますが、これもそのひとつです。
トシの死から賢治はなかなか立ち直れないのですが、すべての人の幸せを願っていたのに、自分の愛する妹の死を悲しむ自分に悩みます。
こんな詩も残しています。
あいつがいなくなってからのあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかったとおもひます(青森挽歌)
そして、「薤露青」ではこういうのです。
あゝ いとしくおもふものが
そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
なんといふいゝことだらう……
個別トシへの執着が、「みんなの幸福」へと深められたのです。
このフレーズの最後の1節に関しては、「ほんとうのさいわいはひとびとにくる」という異論もあるそうです。
ホームページにも書きましたが、この賢治の気持ちが、「銀河鉄道の夜」へと深まっていくわけです。
そして、「あらゆるひとのいちばんの幸福」さがしの農民生活運動へとのめりこんでいき、あの有名な真理に到達します。
「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」
節子を見送る前の私が、自らの生き方の基本に置いていた言葉です。
しかし最近、この言葉を忘れがちになっていました。
節子がいなくなって、「幸福」という言葉が、私にはまぶしすぎて、語れなくなったからです。
先日、この詩に出会って、この数年の私の迷いがとてもすっきりしました。
賢治がトシを愛したのは、みんなを愛していたからなのです。
トシを愛していたからこそ、みんなを愛し、その幸福を願えたのです。
私の、節子への愛は、私を呪縛しているのではなく、私がみんなを愛し、その幸福を願う思いの源泉なのだと、改めて実感しました。
今年からまた、「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という言葉を、肝に銘じて、生きていこうと思います。
それが、節子を愛し続けることなのですから。
賢治が呪縛から抜け出たように、私も漸く跳べそうです。
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