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2013/01/10

■言葉の魔術

また高校生が、教師の「体罰」で自殺するという事件が起こりました。
その報道を見聞きして、やはり大きな違和感があります。
違和感のひとつは「体罰」という言葉です。
報道の内容を聞いた感じでは、明らかに暴力行為、暴行です。
その事実が「体罰」という言葉で、ごまかされています。
「教師が生徒に暴行をふるった」と「教師が生徒に体罰を与えた」とでは、そのイメージはまったく違います。

またバスケット部の2人の副顧問が、その行為を見ながらも、「顧問の教師の実績を考えると口を挟めなかった」というようなことをはなしているようです。
ここで気になるのは「教師の実績」です。
何を持って実績というのか。
この言葉からは、暴行した教師は立派な教師だというイメージを生み出してしまいます。
暴力行使が教育の実績を上げるという、おかしな話です。
たぶん彼らもまた、暴行を怖がって暴力教師に取り入っていただけの話です。
しかし、この言葉は暴力教師を助けるこうかをもっています。

「暴力」を独占するのが国家権力といわれます。
国家が使う暴力は「戦争」として肯定されますが、国家の内部においては、その下部組織がさまざまな形で「暴力」を正当化しています。
「体罰」や「死刑」は、そうしたもののひとつです。
あるいは、正当化しないまでも、脱暴力化することも多いです。
組織が行う「いじめ」は、その典型的な事例です。
最近、企業の「追い出し部屋」が問題にされだしていますが、これも国家をまねた私的組織の暴力というべきでしょう。

白を黒と言いくるめることは、そう難しいことではありません。
言葉にだまされてはいけません。
表現されている言葉ではなく、自分の頭で、事実をしっかりと考えなければいけません。
最近、つくづくそう思います。


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