■節子への挽歌1970:「ちょっと猫背になってますよ」
節子
人は誰もいろんな事情を抱えています。
そして、それぞれの事情は、当人以外はなかなかわかりません。
挽歌を書かなかった、この1週間、いろいろな人のいろいろな思いとささやかに付き合いました。
とても重い話が多く、それだけでも動けなくなるほどのものです。
その話をここに書くわけにはいきませんが、たとえば1時間を越える電話の相談は終わった途端にどさっと疲れが襲ってきます。
彼女は、私以上の苦労の中で、健気に前に向かって進もうとしています。
しかし、あまりに問題が違うために、ちょっとした言葉遣いで、受け取り方がずれてしまいますから、お互いに慎重にしなければいけません。
電話の向こうからも、疲れが伝わってきます。
節子もよく知っている人の夫婦関係の話は、私たちとはあまりに違うので、戸惑います。
節子がいたら、夫婦一緒に食事でもできるのですが、それはもうかないません。
なぜ長年連れ添った夫婦が、豊かな夫婦生活を過ごせないのか、残念です。
そうした事例は必ずしも少なくありません。
伴侶をなくした私にとっては、そうした関係にある人の気がしれません。
なぜもっとお互いに大事にしないのか、なぜそれがわからないのかと残念です。
他人事ながら、気が重くなります。
さまざまな人の生き方に、私はどうしても無縁ではいられないのかもしれません。
巻き込まれてしまいがちなのです。
しかし、他者の人生に関わるのは、一人では辛すぎます。
その重荷を背負い込んでも、それを一緒に担いでくれる人がいないと、もらった疲れは私の中でますます重くもなっていきます。
そして自らも疲れてへこんでしまうこともあるのです。
節子がいたら、逆に重荷が私たちを元気にしてくれることだってあったような気がします。
この1週間、考えてみると、少し重荷を背負い込みすぎたかもしれません。
明るい話もなければ身が持ちません。
明るい話はどこかにないでしょうか。
明日から少し気分を変えましょう。
整体に通っていますが、そこで「佐藤さん、ちょっと猫背になってますよ」と言われてしまいました。
背筋を伸ばさなければいけません。
重荷を背負ってばかりいては、背負いきれなくなってしまいます。
明日は少し長目にマッサージしてもらいましょう。
猫背は正さなければいけません
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