■節子への挽歌1969:「姉さんのいない人生は寂しすぎるわ・・・」
節子
またしばらく挽歌をご無沙汰してしまいました。
挽歌だけではなく、時評編のブログもしばらく書けずにいました。
体調が悪かったわけでも、時間がなかったわけでもありません。
ただただ書かなかっただけです。
書こうという気が起きなかったのです。
数日前に、何気なくテレビをつけたら、前に見たような映画をやっていました。
「パッセンジャーズ」でした。
こんな映画です。
セラピストのクレアは、飛行機事故で奇跡的に生き残った5人の乗客の、トラウマ的なストレスを治療する役割を突然命じられる。彼女は生存者たちの記憶から浮かび上がる数々の謎を解き明かそうとする。だが、患者たちは自分たちの記憶と航空会社の公式説明の食い違いに悩み、自分たちの記憶も曖昧になってくる。やがて、事故の核心に近づくたびに患者たちが次々と失踪しはじめ、彼女の周辺でも不可解なことが続発し始める。(goo映画から引用)私が見たのは最後の20分くらいですが、前に見たことを思い出して、結局最後まで見てしまいました。
観ていない人にネタばらしになってしまいますが、この映画は死者たちの物語なのです。
今の私にはとても素直に受け入れられ内容です。
娘に話したら、前にも挽歌に書いていたでしょうと言われました。
それで調べてみたら、たしかに書いていました。
挽歌1000です。
そこに、私が彼岸に旅立つまで挽歌を書きつづけるだろうと書いていました。
挽歌を再開しようと思いました。
思ってから数日がたってしまいましたが。
最後のシーンが衝撃的です。
亡くなったクレアの遺品整理に来た姉のエマが机の上に残された妹のカードを見つけるのです。
そこに書いてあったのは、「姉さんのいない人生は寂しすぎるわ・・・」。
最後しか見ていないので、姉妹になにがあったのかわかりませんが、その言葉は強烈です。
お姉さんのいない人生は寂しすぎる。
節子のいない人生は寂しすぎる。
私がこの数日、挽歌も時評も書けなかったのは、そのせいだったことに気づきました。
最近、無性に寂しい。
何をやっていても、心身が満たされません。
人に会うのが何か億劫で、その寂しさはますます強くなる。
寂しすぎる人生は、思考力も行動力も、すべて奪ってしまいます。
それを気づかせるように、節子がこの映画を観るように仕組んだのかもしれません。
とても皮肉なのですが、寂しすぎる世界に投げ出されるのは、クレアではなくエマなのです。
とても不思議な映画です。
この映画を観てから、また人に声をかけ、会いだしました。
寂しさに浸るのをやめました。
うまくいくといいのですが。
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