■年賀状とフェイスブック
今日、はじめて年賀状を読みました。
数年前から私は年賀状を前年に出すのをやめ、年が明けてからの年賀メールを基本にしていますので、届く年賀状は年々少なくなってきています。
年賀状は、その人のお人柄がメール以上に感じられます。
私の友人知人も、考え方はさまざまです。
たとえば「日本も今年はやっとまともな方向に向かって行けそうです」と安倍政権を歓迎している人もいれば、自民党の改憲論に怒りを書いている人もいます。政治に失望している人もいれば、今年こそ頑張りたいという人もいます。
しかし、概してみんな「平和」で、幸せそうです。
それが年賀状なのかもしれません。
いろいろとあったけれど、あるいはいろいろとあるけれど、まあ年も越せるし、先行きは今よりも良くなるだろうと、自らを納得させるために年賀状というのはあるのかもしれません。
それに、年賀状は、普通の人にとっては、数少ない個人的な情報発信手段でした。
ふだん交流のない人への定期的な報告でもありましたが、同時に社会に対する気持ちの発散効果もありました。
毎年、1回、こうやって自らを振り返り、明日に向かって気持ちを吐き出すのは、見事な社会安定装置なのかもしれません。
ところが最近は、フェイスブックがそうした役割を果たすようになって来ました。
そう思って考えると、フェイスブックの持っている社会安定機能に気づきます。
アラブ世界ではフェイスブックが社会を変革したといわれていますが、どうも現実は逆なのではないかという気がしています。
フェイスブックの持つ保守効果を、もう少し考えたいと思います。
アラブの風は、実は保守活動だったのかもしれないという気さえしてきました。
マスコミの報道には注意しなければいけません。
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