■「これ以上、何が必要だ」
今日の挽歌に書いたのですが、むしろ時評編のテーマかもしれないと思い、少し重複しますが、ここでも書くことにしました。
BS日テレの長期番組に、「小さな村の物語 イタリア」というのがあります。
イタリアの小さな村で暮らすさまざまな人の人生の物語が毎回語られます。
私のお気に入りの番組です。
そこで語られているのは、華やかなドラマではありませんが、人生の深い意味を示唆してくれる感動的な物語です。
毎回、生きることの喜びや豊かさが、生き生きと語られます。
その人の具体的な人生を背負った言葉なので、涙が出てくることも少なくありません。
プロデューサーの田口和博さんがある雑誌に、「村の人たちが言葉の一言一言は、どんな著名な哲学者でさえ唸ってしまうほどの、人生の箴言だ」と書かれていましたが、まさにそう思います。
人はみな哲学者なのです。
昨日の138話の主人公の一人は木材会社をやっているアルド・パインさんです。
1年前に独立したばかりですが、村人たちに頼りにされています。
休みの日には、3人の子供たちも一緒に、自分が子供のころ住んでいたところによく行くのだそうです。
子どものころ寝泊りした牛小屋は、今ではもう廃墟になっています。
当時はまだみんな生活は貧しく、生活も厳しかったのです。
末っ子が言います。
「ここに住むのもいいね、昔もよかった?」
アルドさんは答えます。
「よかったけど誰とも遊べなかったよ。自然のもので遊んだよ、ミニカーも作ったな。」
末っ子は「すご~い」と叫びます。
最近は、こんなやり取りにさえ涙が出ます。
それにつづくアルドさんの言葉は、とても感動的です。
長くなるので引用は差し控えますが、もし機会があったらぜひこの番組を観てください。
家族みんなでの豊かな食卓を前に、アルドさんは「昔はスープだけだった」と子どもたちに話します。
アルドさんは18歳のときに、厳しい両親に一度だけ反発して、「なぜわが家は貧しいのか」と訊いたことがあるそうです。
その時、両親は「これ以上、何が必要だ」と応えたそうです。
その言葉を今も忘れないと、アルドさんは語ります。
「これ以上、何が必要だ」。
心にぐさりと響く言葉です。
「これ以上、何が必要だ」。
私自身、自らに問い続けたい言葉です。
番組を観ていて、アルドさんの今の暮らしは実に豊かだと思いました。
しかし、もしかしたらアルドさんの子供のころの生活もまた、貧しいどころか、豊かだったにちがいなと思います。
そして残念ながら、私の生き方は豊かさとほど遠いような気がして、どこかでいき方を間違ったような気がしてなりません。
番組を観てからずっと、「これ以上、何が必要だ」と問われ続けているような気がしてなりません。
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