■節子への挽歌1965:節子は料理作りが好きでした
節子
今日、湯島で技術カフェというのをやっていました。
技術をテーマに毎月やっているサロンです。
昨日は原発事故による汚染に対して、技術者としてやること、できることがあるのではないかという話で持ちきりでした。
実際に何をやるかも決まりました。
それはそれとして、その話に移る前に、料理の話になりました。
参加者は全員男性だったのですが、結構料理をやっているのに驚きました。
私と同世代の寺田さんは、チャーハンの作り方を教えてくれました。
フライパンをひっくり返すのが重いので、最近は2人分が限界だそうです。
リアリティがあります。
そういう話になると思い出すのが、私に料理を教えようとしてくれた節子のことです。
娘が証拠写真まで撮っていますが、その教育の成果はまったく役立っていませんので、ユカからあきれられています。
どうも料理するのは気がすすみません。
実は食事をすることさえも、あまり気がすすまないことなのです。
ですから「食事をゆっくりと楽しむ」という文化があまりなく、食べるのが早すぎると節子はいつも嘆いていました。
たしかにあっという間に食べてしまうのです。
作った人にとっては、張り合いがないでしょう。
今も娘のユカが時々、そう言います。
節子は料理が好きでした。
料理が上手なわけではなかったのですが、病状が悪化して、だんだん食事作りができなくなっていくのをとても残念がっていて、また家族のためにゆっくり食事作りをしたいと、よく言っていました。
かなり症状が悪化してからも、一品だけでも作りたいと台所に立つこともありました。
その頃は、自分はもうあまり食べられなくなっていましたが。
節子に料理を教えてもらっている写真は、たぶん私のホームページのどこかに掲載されているでしょう。
その頃、節子が買ってくれた私専用のエプロンはどこにいってしまったのでしょうか。
そういえば最近見たことがありません。
節子に怒られそうです。困ったものです。はい。
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