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2013年2月

2013/02/28

■節子への挽歌1999:節子の手作り雛人形

わが家の雛人形は、節子の手作りです。
2人の娘それぞれに、手作りの木目込み人形を作ったのです。
節子は、基本的に手作りが好きでした。
もちろん私もそうなのです。
ユカには立ち雛、ジュンには座り雛です。
娘たちが大きくなってからは、もっとカジュアルな雛人形(これも節子の手作りが多かったですが)が飾られて、大きな人形は出てきませんでした。
それを、何を思ったか、ユカが今年は物置から出してきて、リビングに飾りました。
久しぶりに、節子の手作り人形の登場です。
節子も喜んでいることでしょう。

Hina

節子の手作り文化は今も残っています。
節子の位牌壇の真ん中に鎮座している大日如来も手作りです。
家族みんなで心を込めて作り上げた仏様ですから、節子は喜んでいるはずです。

わが家の壁にかかっている額の絵も多くは節子の作品です。
和室の床の間の掛け軸も節子です。

このことは逆に言えば、わが家には基本的に「値がつくお宝物」はないということです。
最近、貴金属を強引に買い取る事件が起こっていますが、幸か不幸かわが家にあるアクセサリーはこれまた節子の手作りが多く、お金には全くなりません。
捨てるに捨てられずに、いまもそのままになっています。

手作り文化がしっかりとあると、お金はかからずにいいものですが、いざとなったら換金できるものがないということです。
わが家は基本的にお金とは無縁なのです。
節子と私の、それが共通の意識でした。

もっとも節子には迷いもありました。
箱根の成宮美術館に行った時に、会場で突然、絵のオークションが行われたことがあります。
富士山の絵が売られていました。
特別出品で、将来、価格がつくと言われたようでした。
その言葉に乗って、節子はその絵を買いました。
値が上がるという言葉に気迷いしたのでしょうか。
その絵は、わが家で飾られたことがありません。
節子もさほど気にいってはいなかったのでしょう。
今はどこかにうずもれてしまっています。
時々、節子はそうした過ちをおかす人でした。
私は、それが好きでした。

雛人形を見ながら、富士山の絵のことを思い出しました。
もしかしたら、値が上がっているでしょうか。
いま私はかなり困っているので、探してみようかと思いましたが、まあもともと安い絵ですから、指しあたっての役には立たないでしょう。
それにそんな発想は、わが家にはふさわしくありませんし。

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2013/02/27

■節子への挽歌1998:ルクソール

節子
エジプトのルクソールで観光用熱気球が炎上して墜落すという事故が起きました。
日本人4人を含む19人が死亡したといいます。

事故はとても痛ましく残念ですが、ルクソールの上空からの風景は見事でしょう。
王家の谷も2つの大神殿も上から見ないと全貌はつかめません。
危険を承知で熱気球に乗りたくなる人の気持ちはよくわかります。
できることなら、私も上からルクソールを見てみたいです。

わが家の最初の家族旅行はエジプトでした。
私が会社を辞めて、時間が取れるようになったので、家族に提案してエジプトを選びましたが、節子はなんでエジプトなの?という感じでした。
私と違って、節子にとっては遺跡は泥の塊でしかなかったのです。
実際にエジプトに行ってから、節子はエジプト好きになりましたが、本当は遺跡よりは自然や都市が節子の好みだったのです。

ルクソールでの思い出はいろいろありますが、たしかホテルで夫婦喧嘩をしてしまったような気がします。
それで自由時間にルクソールの市場に出かけたのですが、たしか節子は別行動でした。
そのため、ルクソールの市場でのお土産はありません。
ルクソールの神殿は実に私好みでした。
その反面、王家の谷の印象はほとんどありません。
話題のツタンカーメンの墓は閉じられていましたし、どこの墓に入ったかさえ覚えていません。
まあ観光で見たものは意外と忘れますが、夫婦喧嘩はなかなか忘れません。
困ったものです。

ルクソール神殿は、遺跡は泥の塊だと言っていた節子にも感動的だったようです。
以来、私たちの海外旅行は、ギリシア、トルコ、イランと、古代遺跡ばかりだったのですが、節子は反対せずにいつも喜んでいました。
もし節子が元気だったら、もう一度、エジプトには行ったはずです。
ルクソールにはたくさんの遺跡がありますから、今度は夫婦喧嘩などせずに、ゆっくりと滞在したかったものです。
そのルクソールに、もう行くことがないと思うと、とても残念です。

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■節子への挽歌1997:記憶の共同体

節子
J・S・ミルは、150年前に出版した『代議制統治論』のなかで、「記憶の共同体」という言葉を使っています。
「国民性(nationality)」に関連して述べている文章があります。

「人類のある一部分が、共通の諸共感によってお互いにひとまとまりとなり、その共感は、他のどんな人々とのあいだにも存在しないようなものであれば、彼らは一つの国民を形成するといってよいだろう。」

そして、人々をつなげる最も強い要素として、ミルはこう書いています。

「全てのうちでもっとも強力なのは、国民の歴史を有することと、その結果として記憶の共同体をなしていること、すなわち、過去の同じ出来事にかんする、集団として誇りと屈辱、喜びと悔恨を持つということである。」

あえて、挽歌にまでミルを持ち出すこともないのですが、この「記憶の共同体」という言葉はとても気にいっています。
夫婦や家族は、まさに「記憶の共同体」だからです。
その記憶は、写真や文字で残されることもありますが、そのほとんどはそれぞれの心身の中に埋め込まれ、あるいは関係性の中に蓄積されているのです。
節子が元気だったころ、私は写真やビデオをとるのが好きでしたが、いなくなってからはまったくといっていいほど、撮らなくなりました。
そればかりではなく、撮りためたビデオや写真への関心もすっかりなくなってしまいました。
記録されたものは、実際には瑣末なものかもしれません。

愛する家族を亡くした人が、その人が使っていた部屋を片付けもせずにそのままにしているのは、まさに「記憶の共同体」を壊したくないからです。
私もまた同じように、節子の生活のにおいがするところは、あまり変えたくないと思っています。
私は、いまなお節子との「記憶の共同体」に生きているからかもしれません。

「記憶の共同体」は時間をかけて育ってくるものです。
無理につくろうとしても、つくれるものではありません。
節子は病気になってから、よく、「またひとつ修との思い出ができた、家族との思い出ができた」と話していましたが、そんな思い出よりも、たわいのない日常の思い出のほうが、「記憶の共同体」には重要なのです。
でもまあ、そういう時の節子の気持ちはよくわかります。
節子は、そういいながら、限られた毎日をとても大事にしていたのですから。
それに十分に応えていなかったことは、いくら後悔しても後悔が残ります。
しかし、節子との「記憶の共同体」はいまなおしっかりと残っています。
その共同体に、今も支えられているのです。

どんなに仲たがいしている夫婦であろうと、かならず「記憶の共同体」はお互いを支えています。
願わくば、多くの夫婦がそれに気づいてくれるといいなと思います。
一度つくった夫婦の絆を壊してはほしくありません。
手に入れたくとも手に入れられない人も存在していることを忘れないでほしいです。

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■節子への挽歌1996:夢からの暗示

節子
相変わらず最近、よく夢を見ます。
一時期ほど、節子は登場しませんが、いつも懐かしい人が順番に登場します。
なにやら迎えが来る前にいろいろな人が登場するような気がしないでもないですが、ある事情があって、少なくともあと3年は、私は此岸にとどまることにしています。

それにしても、毎晩、よくいろんな夢が見られます。
もっとも、ほとんどの場合、うまくいく夢ではありません。
まぜか思い通りに行かずに、課題を残すことが多いのです。
「夢はいろいろな連想の短縮された要約として姿を現している。しかしそれがいかなる法則に従って行われるかはまだわかっていない」とフロイトは書いていますが、まさにその通りです。

もっとも、どんな夢を見たかは、おどろくほど完全に忘れてしまいます。
目覚めた直後には鮮明な記憶があるのですが、30分も立つときれいに忘れてしまいます。
記憶しておこうと意識しておくと意外と記憶は残りますが、そうでないとそれこそ二度と思い出せなくなります。
記憶のあるうちに記録をしておけばいいのですが、そんなことは私の性には合いません。
しかし、これもまた不思議なのですが、明確な記憶はないのに、なんとなく懐かしい人が出てきて、懐かしい場面の再現だったりという、漠然とした記憶は残っています。
また数回にわたって登場する人もいます。
その人は、私の面識のない人なのですが、数年にわたってみているので、何か知っている人なのではないかと思えるほどです。
最近夢に出てきませんが、昔は、よく登場する3つの廃寺がありました。
その一つには、三千院の阿弥陀如のような仏があり、いつもすぐ横で拝めましたし。最後(なぜか13番目のお寺という意識がありますが)の廃寺にはとてもやさしい五重塔が残っていました。
この塔は、いつも見えるわけではなく、日によって現れる不思議な塔でした。
この夢をよく見たのは、節子がいるときでした。
節子がいなくなってからは、一度も見ていません。
夢の世界も、節子がいなくなってからは間違いなく変わりました。

節子がいなくなった後、彼岸につながっている鉄道の夢を2回見ました。
一つは、ハリー・ポッターのように、ある駅に重なって「見えないホーム」がありましたし、もう一つは駅名まではっきりとした駅の入り口にたくさんの人が乗り込んでいる夢でした。
目が覚めてからパソコンで、その駅の名前を検索しましたが、見つからなかったことを覚えています。
その種の夢は、その後は見ていません。

なんだかおかしな話を書いてしまいましたが、夢は何を示唆しているのでしょうか。
最近は夢でうなされることもなくなりましたが、輝くような夢も見なくなりました。
それに、最近は節子もはっきりとした姿では夢に現れません。
私もまた、夢を見たいという意識が薄れてきました。
見たい夢がないせいか、最近はわけのわからない夢が押し寄せているのかもしれません。

夢は不思議な存在です。
人の生のバランスもとってくれますし。

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■節子への挽歌1995:自らと寄り添う生き方

節子
寄り添う人がいるということの大切さを、最近改めて痛感しています。
人は一人で生きていくには弱すぎる存在なのかもしれません。
一人だとどうもバランスがとりにくい。
これは自立していない私だけの事情かもしれませんが、周りを見ていても、そう感ずることは少なくありません。

もちろん、寄り添う人は伴侶とは限りません。
私の場合は、たまたまそれが伴侶である節子だっただけの話です。

福祉の世界では、寄り添うことの大切さが盛んに言われます。
「情緒的一体感の共有」とも言われていますが、そういうことは簡単なことではありません。
とりわけ最近の風潮は、忙しさのあまり、そうしたことさえもがテクニックやスキルの問題として捉えられがちです。
「寄り添いの大切さ」を口にする福祉関係者は多いですが、それを実践している人は、そう多くないように思います。
むしろ、なんでもない日常生活でこそ、寄り添いは実践されています。

「寄り添う」というとき、本当に大切なのは、相手との接し方ではなくて、自らの生き方なのです。
自分が、ある意味での当事者になると、そのことがいたいほどわかります。
他者と寄り添うためには、まずは自らと寄り添わなければいけません。
「自らと寄り添う」とはおかしな表現ですが、自らに素直になり、自らとしっかりと向かい合うと言うことです。
これはできているようで、意外とできていないものです。

節子がいたころは(いなくなった今もその延長ですが)、節子に向き合うことで私は自らに向かい合っていました。
別にそう意識していたわけではありませんが、そうでした。
だからある意味で、自らを相対化でき、生きるバランスがとれていたのです。
それがいまは難しい。
「人」という文字は、支え合う形になっていますが、その支え合いの意味はとても深いような気がします。

最近、あまり挽歌が書けていませんが、それがもしかしたら私の生き方のバランスを崩しているのかもしれません。
もう少しきちんと自分自身に立ち向かわないといけません。
そのためにも挽歌はきちんと続けないといけません。
挽歌を書き続けると、元気が出てくるかもしれません。
自分が見えてきますから。

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2013/02/26

■「自殺者1万人を救う戦い」上映会へのお誘い

記録映画「自殺者1万人を救う戦い」を観ました。
最近、新聞各紙で取り上げられてきていますが、駐日欧州連合代表部の経済担当官であるレネ・ダイグナンさんが時間の合間を見て、3年間かけて制作してきた映画です。
レネさんはもう日本生活暦15年以上で、といても日本が好きなのですが、若者たちと話していて、日本人の「自殺」への寛容さを感じたと言います。
そして、毎年3万人を超える自殺者の多さ(昨年は統計上3万人を下回ったと言われますが)に疑問を持ち、「せめて1万人は救いたい」と、友人と一緒に映画づくりに取り組んだのです。

映画は明らかに、日本人が制作する自殺関係のドキュメンタリーとはタッチが違います。
細かなことを言えば、違和感を持たないわけでもありませんが、そこからは強烈なメッセージが伝わってきます。
彼に会いたくなりました。
先週、仕事帰りの彼と会いました。
その思いと活動にとても共感しました。

そんなわけで、3月2日にレネさんにも来てもらい、加えてその映画の最初と最後に出てくる東尋坊で長年、自殺防止活動に取り組んでいる茂さんと一緒に公開フォーラムを開催することにしました
することにしました。
前にもご案内しましたが、急にスタイルを変えたのでなかなか集客できません。
当日は、映画上映を軸にしていきたいと思います。
そこから日本の社会のあり方が見えてくるからです。
茂さんも、それを問題にしています。
昨日も、東尋坊で2人の人を思いとどまらせたと今朝、連絡を受けました。
茂さんがいくらがんばっても、日本の社会は自殺に追い込まれる人を生み出し、東尋坊に送り込んでくる。
それでは茂さんはいつになっても活動をやめられません。
社会のあり方を変えないといけない、私たちの生き方を変えないといけない、茂さんはそう訴えています。

レネさんと茂さんの誠実な活動に触れると、自然と、では自分は何ができるだろうかと思います。
そういう人が増えていけば、きっと社会は住みやすくなるでしょう。
その第一歩を踏み出すために、もしお時間があれば3月2日の集まりにご参加ください。
会場でお会いできれば、とてもうれしいです。

ぜひチラシをご覧ください。

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2013/02/24

■節子への挽歌1994:楽なものからやってはいけない

節子
今日も大事をとって自宅にいました。
しかしやることが山のようです。
さてどうするか。

私は「楽なこと、やりたいことから始める」のが流儀です。
しかし、節子は「やるべきことから始める」流儀でした。
もう一つ違う流儀がありました。
「今日できることは今日やる」と「明日でもいいことは今日はやらない」です。
前者は節子、後者は私です。
もちろん望ましいのは節子流でしょうが、私はどうも不得手です。
それでいつも節子に注意されたり、呆れられたりしていました。
いまとなっては懐かしい思い出です。

節子がいなくなってから、私の流儀はさらに進化しました。
「今日しなければいけないことも明日にのばす」です。
実に困ったものですが、まあ、それでも太陽は出てきますから、大丈夫なのです。
そうしてどんどん自堕落になってしまってきたわけです。
その咎は、当然ながら自らであがなわなければいけません。
それが昨今の私の生活の混乱なのです。

そんなわけで、今日も楽なものから始めましたが、幸いなことに約束事はほぼ完了しました。
しかし、問題はあまりパソコンを続けられないことです。
やはり少し長くやるとおかしくなりそうな気配がします。

明日ももう少し大事をとらなければいけません。
困ったものです。はい。

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2013/02/23

■節子への挽歌1993:4回目の視界異常

節子
事件です。
今日の午後、突然視界がおかしくなりました。
視界の左側にゆらゆらとらせん状に動く渦巻きが現れて消えなくなったのです。
2年おきくらいに起こる症状です。
最初に起こったのは、節子と節子の姉夫婦との福井での旅行中でした。
節子との最後の遠出旅行でした。
どこだったかあまり覚えていないのですが、買い物にお土産店に入った節子たちを外で待っている時に、それが起こりました。
目まいほどではないのですが、視界がおかしくなり、焦点が合わなくなったのです。
節子たちが戻ってくるころには、おさまっていましたので、節子にはちょっと目がおかしくなったとしか話しませんでしたが、その時はそれだけで終わりました。

2回目は2年目です。出張で出かけていた先でのことです。
この時は正常に戻るまで1時間ほどかかりました。
さすがにこの時は、翌日、病院に行き、MRIを撮りました。
大きな異常は見つかりませんでした。
その1年後にまた自宅で同じ状況が起こりましたが、横になっていたらおさまりました。
そして、今日、4回目が起こったのです。
目の使いすぎかもしれません。
今回も30分ほどで正常化しましたが、あまり気持ちのいいものではありません。

今日はたまっていたパソコン仕事があったのですが、目を使うのをやめることにしました。
この挽歌を書いたら、今日はお風呂に入って、ゆっくり休もうと思います。
最近、生活のリズムも崩れていますし、ストレスも山のようにたまっていますし、寝不足ですし、おかしくなっても、それこそおかしくありません。

節子がいないと、自宅ではパソコンとにらめっこばかしです。
つまりは、節子のせいなのです。
節子がいる時には、パソコンに向かいすぎていると、節子が注意してくれて、パソコンから引き離してくれましたが、もうそれもなくなりました。
むしろ挽歌のために、節子が私をパソコンに誘います。
困ったものです。
どうにかしなければいけません。

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■節子への挽歌1992:最大の支え

節子
最近、週に2回ほど近くの整体院に通っています。
特にどこが悪いというわけではないのですが、何気なく立ち寄ったのが縁で、よく通うようになったのです。
その院長は、まだ20代ですが、とてもがんばっています。
毎日、6時間弱の睡眠時間で、ともかく今は限界まで頑張っているのだそうです。
始発に家を出て、終電で帰る毎日だそうです。
なぜそんなに頑張れるのか。
いつか夫婦で独立すると言う目標があるからです。
奥さんも同じ整体師のようです。
目標を持って、夫婦で頑張る。
私には理想的な生き方です。
もう自分ではできない生き方ですが。
だから応援したいと思います。

一昨日、レネ・ダイグナンさんというアイルランドの人に会いました。
41歳ですから、もう若者とはいえないかもしれませんが、私から見れば、若者です。
彼はあるきっかけで、日本の自殺者の多さを知りました。
そこから20代の若い友人と2人で、仕事の合間を使って、3年かけて記録映画を制作しました。
「自殺者1万人を救う戦い」という作品です。
私も見せてもらいました。
そして、3月に開催予定の集まりにレネさんに来てもらうことにしました。
その打ち合わせもあって、お会いしたのですが、彼の思いに共感して、2時間も話し込んでしまいました。
3年間はかなりハードだったようで、「妻はまた映画を作るなら離婚すると言っています。そう言ったとき笑っていなかったので、きっと冗談ではないんでしょう」とあるインタビューに答えています。
100人近い関係者のインタビューをした作品を2人で制作したのですから、まあ当然でしょう。
いまレネさんのところには、講演の依頼や上映の話がたくさん来ています。
しかし彼の一番の関心は、この映画を効果的に生かしながら、日本の現状を変えていくということです。
その誠実さと真摯さにとても感動しました。
奥さんの言葉は言葉として、レネさんが3年間がんばれたのは、奥さんの支えがあればこそのことだったと確信します。
夫婦の支えあうスタイルは、それぞれに違います。

私が、25年間勤めた会社を辞めて、全く違う生き方をはじめた時に、節子は何も言わずに全面的にただただ応援してくれました。
私が、たぶん普通の人たちとは全くといっていいほど違う人生に移れたのは、節子のおかげです。
2人の若者と話していて、25年前のことを思い出してしまいました。
最大の支えとは、相手を全面的に信頼することかもしれません。

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■自殺を切り口にして、私たちの生き方や社会のあり方を考えるフォーラム

私のホームページにも案内していますが、3月2日に、タイトルのような集まりを開催します。
福井県の東尋坊で長年自殺防止活動に取り組んでいる茂幸雄さんと最近話題の記録映画「自殺者1万人を救う戦い」を制作したレネ・ダイグナンさんの話(映画上映もあります)を受けて、いまの社会のあり方や私たちの生き方を、みんなが同じ目線で話し合いたいと思います。
急に開催することにしたので、なかなか参加者が集まらずに苦戦しています。
場所は東京の青山学院大学ですが、誰でも歓迎の公開フォーラムですので、お時間とご関心のある方はご参加ください。

案内は下記のとおりですが、タイトルに「自殺」の文字があるために腰が引けてしまう人も少なくないようです。
しかし、切り口は「自殺」ですが、テーマは「自分の生き方」「社会のあり方」ですので、だれでも歓迎です。
以下、ご案内です。

<「自殺の問題にどう立ち向かうか」公開フォーラムのご案内>

自殺のない社会づくりネットワーク代表の茂幸雄さん(NPO法人心に響く文集・編集局代表)は、長年、東尋坊で自殺防止活動に取り組んでいます。
自殺のない社会づくりネットワークでは、これまでも公開フォーラムや交流会などで、茂さんのお話をお聴きしていますが、今回はただお話をお聴きするだけではなく、茂さんのこれまでの現場体験やご自身の気づきをじっくりと話していただき、それを踏まえて、参加者全員で意見をぶつけ合いながら考えあう集まりを開催することにいたしました。

できれば、これを契機に、「自殺に追い込まれるような状況を生み出す社会をどうしたら変えていけるか」をテーマにした、さまざまな立場の人が参加するラウンドテーブル・ディスカッションを定期的に開いていければと考えています。

今回は、いわばそのキックオフ・イベントと位置づけていますが、ゲストに、最近話題になっている記録映画「自殺者1万人を救う戦い」を制作したレネ・ダイグナンさんをお呼びし、その作品も上映させてもらう予定です。
なお、テーマに「自殺の問題」とありますが、むしろ「自殺の問題」を通して、いまの社会のあり方や私たちの生き方を考えていければと思いますので、できるだけさまざまな立場の人にご参加いただき、多面的な視点から話し合いができればと思います。
急なご案内ではありますが、社会のあり方や私たちの生き方に問題意識をお持ちの方にはぜひご参加ください。
参加人数に限りがありますので、参加ご希望の方は事務局までご連絡ください。

■日時
  2013年3月2日(土曜日)午後1時から5時(12時半開場)
■場所
  青山学院大学青山キャンパス17号館 17308号教室
青山学院大学(東京都渋谷区渋谷4-4-25)
東京メトロ(銀座線・千代田線・半蔵門線)「表参道駅」より徒歩5分
http://www.aoyama.ac.jp/outline/campus/access.html
青山キャンパスの地図
  http://www.aoyama.ac.jp/outline/campus/aoyama.html#header
■参加費
  500円
■プログラム(予定:検討中のため変わる可能性があります)
茂幸雄さん(NPO法人心に響く文集・編集局代表)からの現場報告と問題提起
記録映画「自殺者1万人を救う戦い」(監督:レネ・ダイグナンさん)上映
茂さんとダイグナンさんのショート対談
参加者全員での話し合い
それぞれが自分の問題として話し合いが進められればと思います。
  *記録映画「自殺者1万人を救う戦い」の紹介サイト
     http://eumag.jp/spotlight/e1012/
■主催
  自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい+コムケアセンター
■申込先(事務局)
コムケアセンター(担当:佐藤):comcare@nifty.com


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2013/02/22

■節子への挽歌1991:夫唱婦随

節子
久しぶりにビレッジハウスの山本さんがやってきました。
山本さんはご夫婦で設計デザインの会社をやっています。
お2人が設計された結婚式場は、ブームを引き起こしたり、映画の舞台になったりすることが多かったです。
山本さんが設計した360度に視界が開ける屋上のチャペルやプロヴァンス風の屋上庭園には節子ともども招待されましたし、
二宮のバリ風レストランにも招待されて、ご馳走になった記憶があります。
山本ご夫妻には節子もお会いしていますが、とりわけ秀太郎さんは一時期、湯島のオープンサロンの常連でもありました。
今はご自分がサロンを主催されています。

山本夫妻は、実に対照的な夫婦なのです。
いささかパターン化していえば、楽観主義の妻と悲観主義の夫と言ってもいいでしょうか。
その2人の結婚の話も実にドラマティックなのですが、まあそれは私が書く話でもないでしょう。

山本さんが、もう何年ですか、と訊いてきました。
もう6年目ですと言うと、もう6年目ですかと言いました。
まあそれだけの話なのですが、それだけいろいろなことが共有できるのです。
精神がしっかりするまで5年以上はかかりましたと言ったら、佐藤夫妻は私たちと違って夫唱婦随だからと山本さんが言いました、
実は山本夫妻も、夫唱婦随なのです。
山本さんは、もしかしたら婦唱夫随だと思っているかもしれませんが、そうではないのです。
それに、山本さんは実に奥様思いなのです。
それが実によくわかるのです。
みんな意外と自覚していませんが、片方を失うと、たぶん多くの人がそれに気づくのではないかと思います。

もっとも、どっちが「唱」でどっちが「随」かは、瑣末なことです。
夫婦とは「唱」も「随」もないのです。
夫婦を40年もやったものとしては、そう思います。

しかし、片割れがいなくなると、「唱」も「随」もできなくなります。
それが一番さびしいのです。
このさびしさは、そうなってみないとわかりません。
さびしいというよりも、むなしいものです。

またなかなか挽歌も時評も書けずにいます。
どこか最近、自分が腑抜けになってきた感じです。
困ったものです。

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2013/02/20

■「現在の法律ではそうなってしまう」

なんともやりきれません。
亀岡市で昨年4月、集団登校中の児童らの列に車で突っ込み、死傷事件を起こした19歳の少年の判決があまりにも軽いために、テレビで多くの人がおかしいといっています。
にもかかわらず、最後にはこういう言葉で切り上げられます。
「現在の法律ではそうなってしまう。法律を変えなければいけない」。
なんとばかげたことでしょう。
手段としての法律が目的になり、基準としての法律に規制されているわけです。
そこには、微塵も「リーガル・マインド」や「法の精神」は出てきません。

もっとおかしいのは、犯罪が奨励されていることです。
判決では、運転免許を持っていなくても無免許運転を続けてきたから運転技術はあるという判断がなされています。
この裁判官は、運転は技術だけで成り立つと思っているようですが、一度、自動車教習所に行きなおすべきでしょう。
運転は単なる技術ではありません。心構えも重視されています。
この論理は、無免許運転という違法行為を繰り返すことがプラスに評価されています。
ここでも「リーガル・マインド」や「法の精神」は無視されています。

法は、一種の社会契約です。
近代法は、解釈が実に柔軟にできるようになっています。
ですから、非武装と言いながらイラクにまで派兵できるのです。
だから人間が法廷で解釈する裁判制度ができているわけです。
同じ事実が、無罪になったり有罪になったりもするわけです。
そうでなければ、機械に評価させ執行させればいいだけの話です。
税法や行政手続法では、そうなっているかもしれませんが、それは関わる人間が機械を代行する仕組みになっているからです。
人の生き死にが関わっている事件まで、機械もしくは機械のような代行者に担当して欲しくないと思います。
いささか短絡的に書いているので、またお叱りのメールが来るでしょう。
しかし、それにしてもやりきれない判決です。

被告の19歳の少年も、これでは報われないでしょう。
法律は守らなくてもいいという生き方を認められたことで、彼はまた過ちを犯しかねません。
起こした過ちは、正しく償われてこそ、意味があります。
たった3年の差で、彼の不幸は増してしまったように思います。
このことは、被告の少年の責任ではありません。
まわりの人たちの責任だろうと思います。

昨今の裁判の本質の一つを垣間見た気がします。
この事件だけではありませんが、法律や制度のせいにして、責任をあいまいにする風潮が、ともかくやりきれません。

時評を書く気にならなくなってだいぶたちますが、あまりにやりきれないので衝動的に書いてしまいました。
きっと感情に任せた、支離滅裂な文章でしょう。
それほどやりきれない気がしています。

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2013/02/19

■節子への挽歌1990:完成することのないプロジェクト

節子
ユカから最近のお父さんの姿を節子が見たらなんというだろうといわれてしまいました。
どうやら最近の私には緊張感がないようです。
だらだらしていると言うことです。
節子がいるときに、緊張感などあったとは思いませんが、確かに最近の生活ぶりは「ズボラ」と言われても仕方がありません。
節子が知っている私とは、ちょっと違うかもしれません。
言い訳的にいえば、何をやっても張り合いが出てこないのです。
困ったものです。

伴侶を亡くすということ、家族を亡くすということは、たぶんこういうことなのでしょう。
自分がどんどんと壊れていくような、そんな気もします。
節子と一緒だったころは、何かを創りあげていくという高揚感がいつもどこかにありましたが、いまはそういうものが感じられません。
だからといって、何がどう変わったかというわけでもないのです。
しかしそういう状況が長く続くと、自分の中で何かが壊れていっていることを感じないわけにはいきません。
一緒に暮らしていると言うことは、そういうことなのでしょう。
支えあって、一緒に創り上げてきた人生であれば、その片割れがいなくなってしまえば、それは完成することのないプロジェクトになってしまい、その先は実にむなしい作業にしかなりようがないのです。
これまでの人生さえもが、何か否定されたような気分になることさえあります。

またなにやら暗い話を書いてしまいましたが、最近、どうも生きるリズムが取り戻せません。
しかも、その理由がよくつかめない。

10年以上にわたり、毎週日曜日に私は必ずホームページを更新してきました。
どんなに忙しくても、出張していようとも、必ずそれだけは守ってきました。
それは自分の生き方を確認するという意味を持っていました。
そして私がいなくなった後、節子がそれを読むだろうと思っていました。
だから几帳面に守っていたわけです。
しかし、どうもそれができなくなっています。
一昨日の更新をやっと先ほど終えたところです。
しかも最近の更新はほんの一部で、ミニ更新としかいえません。
そんな状況が1年以上続いています。
そもそもホームページを更新することさえ、あんまり意義を感じられなくなっているのです。
読者などいないのですから、更新など苦労してすることもないと思ってしまいます。
私の心の中で何かが変わってきていることは間違いありません。

それにしても、完成することのないプロジェクトを生きることは、それなりにつらいものだと、最近思えて仕方がありません。

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2013/02/18

■節子への挽歌1989:なるようになる

節子
どうも最近時間がなくて困っています。
毎週日曜日にはホームページを更新していますが、最近それも滞り気味です。
ブログもここ数日、時評編は書けていません。
一番心配なのは、3月2日に開催することを決めた集まりの告知や準備がほとんどできていないことです。
会場は今日、やっと決まりましたが。
テレビ局からの問い合わせもあるのですが、まあそんな状況です。
普通の神経だと胃が痛くなりますが、まあなるようになると開き直っているせいか、今のところは大丈夫です。

昨日、地元のある集まりに出かけたら、佐藤さんはこの頃、自転車を飛ばして走り回っていますね、とある人に言われました。
私はその人に会った覚えはあまりないのですが、脇目もふらずに自転車をこいでいるのでしょう。
困ったものです。

今年のNHKの大河ドラマの「八重の桜」に関連して、「ならぬものはならぬ」という言葉がよく紹介されていますが、この言葉は裏を返せば、「なるものはなる」、つまり「なるようになる」ということでしょう。
この歳になると、どうせなら会津人のように肩に力を入れることなく、「なるものはなる」「なるようになる」という裏面を信条にしたい気がします。
しかし現実はそれほどあまくなく、そうしたいい加減な生き方をしていると手ひどい目に合うこともあります。
もっとも、どんな手ひどい状況に見舞われても、「ならぬものはならぬ」ですから、結局は「なるようになる」わけです。

時間がないと言いながらも、最近また読書にはまっています。
昨夜は4時半に目が覚めてしまったのですが、そこから枕元においてあった、柄谷行人さんの「哲学の誕生」を読んでしまいました。
ギリシアよりイオニアに注目しているので、とてもうれしく、トルコ旅行を思い出しながら、読んでしまいました。
たぶんいい加減に生きているので、時間破産になっているのでしょう。
困ったものですが、節子がいないと時間をどう使っていいかわからなくなるのです。
組織からも自由、伴侶からも自由だと、時間の使い方が下手になります。
さてさてどう立て直すか。
もう1か月以上、こんな状況が続いています。

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2013/02/15

■節子への挽歌1988:「与えられんがために、われ与う」

マックス・ウェーバーは「宗教心理学」のなかで、祈りの本質は、神への礼拝ではなく、神に願いをかなえてもらうための呪文であり、神への強制だと書いています。
宗教以前の呪術は、それを物語っています。
神にお供え物をする見返りに、現世的利益を期待するわけです。
ウェーバーは、それを「神に贈与することによって神を強制する行為」と言うのです。
でも、そうでしょうか。

私はできるだけ素直に生きることを目指しています。
ですから、小賢しい駆け引きや目的目当ての行為は、意識的にはできるだけ避ける生き方をしているつもりです。
いいかえれば、「与えられんがために、われ与う」という姿勢は、私にはあまり好ましいこととは思えないわけです。
むしろ、何も期待することのない無償の行為をできるだけ増やしていきたいと思っています。
そういう生き方をすれば、期待を裏切られることはもちろん、騙されることも怒りを感ずることも起こらないはずです。
そうであれば、それこそ平安な生を手に入れられるというわけです。
そうは思ってはいますが、現実はなかなかそうもいきません。

しかし、正面から「与えられんがために、われ与う」といわれると、ちょっと違和感があります。
私は毎朝、仏壇の節子に声をかけながら、大日如来にも祈りをあげています。
時に頼みごともします。
だから、私も仏に強制しているのかもしれません。
しかし、なかなかかなえてはもらえませんが、祈りごとをするだけで、実は十分に与えられているのかもしれません。
仏の前での祈りは、なぜか心を和めてくれるからです。
こう考えると、実は「与うこと」と「与えられること」は同じことのような気がします。
マックス・ウェーバーは、もしかしたら神に祈ったことがないのではないかと思います。

祈るという行為は、形ではありません。
時に心身からにじみ出てくるのです。
たしかに、時に「宝くじを当ててください」などと仏に頼むこともありますが、それはたぶん「祈り」ではありません。
仏へのお供えも決して贈与ではなく、今様に言えば、シェアです。
祈りとはシェアすること。
これが最近の私の思いです。
「与える」とは、実はシェアすることだと気づくと、世界はまた変わってみえてくるのです。
これも節子から教えてもらったことと言ってもいいでしょう。

ちなみに、
「与えることで与えられる」。
ウェーバーの言葉をそう読み直せば、とても共感できる言葉になります。

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2013/02/14

■節子への挽歌1987:魚助の鯖一本寿し

節子
節子の遠縁の塩津の魚助の松井さんのお母さんが今年の初めに亡くなりました。
長いことをお会いしていませんが、節子と一度だけご自宅を訪問したことがあります。

今日、香典のお返しと一緒に、鯖一本寿しが届きました。
松井さんの息子さんは、いま塩津で鮒寿しと鯖寿しをつくっているのです
鮒寿しはわが家では苦手ですが、松井さんのつくる鯖寿しはとてもおいしいのです。
それを知っているので、たぶん鯖寿しを送ってくれたのでしょう。

松井さんとの付き合いが始まったのは、節子が亡くなってからです。
不思議なものですが、節子が亡くなってからしばらくして息子さんがわが家にやってきたのです。
節子の亡くなったことを誰かに聞いて知ったのだそうです。
実は、息子さんとはそれまで全く付き合いはありませんでした。
にもかかわらず、なぜか弔問にわざわざやってきてくれたのです。
そのことはたぶんこの挽歌に書いたはずです。

松井さんはいまは奥琵琶湖のほとりの塩津で、お店を開いています。
かなりのロマンティストで、いろいろと夢を持っています。
滋賀に行ったときには、時にお会いして、その夢の話も聞きましたが、最近は私があまり滋賀には行けなくなってしまい、ご無沙汰してしまっていました。
魚助の鮒寿しは評判も高く、ファンも多いです。
わが家では、節子だけが鮒寿しが食べられましたが、後は全員不得手です。

ここまで書いて、少し記憶があいまいなことに気づきました。
もしかしたら、節子は生前に松井さんの鮒寿しを食べたかもしれません。
そんな気がしてきました。
挽歌を読み直せば、事実がわかるでしょうが、まあ曖昧なままにしておくのもいいでしょう。
もしかしたら、節子に食べさせたかったという思いが、私の記憶をつくりかえているのかもしれません。
あるいは、食べられなかったとことへの無念さを味わいたくて、私の記憶が動いているのかもしれません。
最近、こうしたことを時々、体験しています。
過去はいくらでも変えられると何かの本で読みましたが、まさにそのとおりなのです。

しかし、節子と一緒に奥琵琶湖の魚助で、美味しい料理を食べることは、もうできません。
変えられないのは、過去ではなくて、現在なのです。

節子
なんだかとても悲しいです。

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2013/02/13

■節子への挽歌1986:自分に無理難題を課するのも好きなのです

節子
一度、生活のリズムを壊してしまうと、なかなか戻れません。
どうもどこかが狂ってしまったようで、何事もうまくいきません。
しかし動き出せばどうにかなるだろうという楽観主義は正しいようです。

3月2日に、ちょっと集まりをやることにしました。
私の好きなラウンドテーブルセッションです。
テーマは「自殺に追い込まれるような状況を生み出す社会をどうしたら変えていけるか」。
これを思い立ったのは、今年に入ってからすぐです。
東尋坊で長年自殺防止活動に取り組んでいる茂さんからのメールがきっかけです。
茂さんは、「今まで偏った発言をしてきたように思い反省しています」と書いてきたのです。
茂さんの活動実績は余人をもっては成し難いと尊敬していますが、その茂さんが「反省」と言うのが、とても気になったのです。
それで茂さんを囲んでさまざまな立場の人が本音で話し合える場を持とうと思ったのです。
ところがなかなか動けませんでした。
忙しいからでも、気が進まないからでもないのです。
理由もなく、動き出せなかったのです。
動かないとますます動けなくなるものです。

これではいけないと先週、仲間に呼びかけました。
3人の人が集まってくれました。
相変わらず無茶な計画だと、私をよく知っている2人の人が言いました。
それで、不本意ながら小規模なミニセッションにすることになり、会場を確保し、今日、呼びかけようとしたのです。
ちょうどその時、茂さんから、最近話題になっている記録映画「自殺者1万人を救う戦い」のDVDを見てほしいと連絡がありました。
それで考えを変えました。
茂さんと話して、その映画製作者のレネ・ダイグナンさんを呼ぼうということになったのです。
そうなると参加者も増えそうです。
急遽、大きな会場を探す羽目になりましたが、私の大好きな展開です。
多くの人が日程的に無理だという話が、ともかく好きなのです。
有無を言わずに動き出さねばいけません。

節子
これで八方ふさがり状況から抜け出せるかもしれません。
それにしても開催まであと2週間ちょっと。会場も決まっていません。
ほんとに大丈夫でしょうか。
でもまあ、やってしまおうと案内を2つのメーリングリストに流してしまいました。
もう後には引けません。

私らしさが少し戻ってきました。
さてどうなりますことか。

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2013/02/12

■節子への挽歌1985:3日連続で節子の夢を見ました

節子
最近、よく節子の夢を見ます。
しかし、あんまりいい夢ではありません。
私が節子に無理難題を出し、節子が困っているような夢が多いのです。
もう3日続いているのですが、もしかしたらこれが私の実態だったのかもしれないと、いささか気が重いです。
たしかに、私はわがままに節子にいろんなことを頼みましたし、節子はそれをいつも引き受けてくれました。
しかし夢のなかの節子は、私の頼みを引き受けずに、私がそれを怒っているのです。
これが節子の実態だったのでしょうか。
そうに違いありません。
悪いことをしていました。
いまさら気がついても遅いですが。

それにしても、節子はわがままな私によく付き合ってくれました。
感謝しなければいけません。
最近は、私は娘には無視されがちです。
私の反応がいささか非常識なことが多いので、会話にならないことが少なくないのです。
節子はまあ適当に流していましたが、まあよく付き合ってくれました。

夢は不思議なもので、目覚めた時には内容を覚えているのですが、30分もたつともう内容が思い出せないのです。
したがってどういう無理難題やわがままな頼みを節子にしたのか、思いだせませんが、節子は私の頼みを厳として拒否し、私が怒っている構図なのです。
それにしても、3日連続して同じような夢を見るのはなぜでしょうか。
生き方を改めるようにと言う、節子からのメッセージでしょうか。

今日は、もっといい夢を見たいものです。

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2013/02/10

■節子への挽歌1984:天王台の緬倶楽部

節子
天王台の緬倶楽部というラーメン屋さんに娘たちと一緒に行きました。
ユカが、ネットで美味しいラーメン屋さんを見つけたというので、みんなで出かけたのです。
7時過ぎに着いたのですが、今日はお客様が多かったようで、私たちが最後の客になりました。
もうスープがなくなったのだそうです。
私たちが入った直後に、本日閉店のカードがドアにぶら下げられました。
カウンター式のカフェのようなお店で、かかっている音楽もジャズなのです。
おだやかそうなご夫婦でやっている、とても清潔感のあるお店です。

メニューは5種類の緬だけです。
店主にお勧めを訊ねたら、どれもお勧めですといわれました。
まあそうでしょう。
しかし、それにつづけて、塩ラーメンと光緬が美味しいですよ、といわれました。
光緬は、3人で一つでいいでしょうとも言われました。
いずれも一番安いメニューで、400円と300円です。
お勧めにしたがって、私は塩ラーメン、そして3人で光緬をひとつ頼みました。

緬もお店の一角に製麺機がありました。
毎朝、それで製麺しているそうです。
腰のある、味のある細緬です。
スープは海産物の香りがしましたが、さっぱりしているくせに豊かな味がしました。
美味しさのあまり、私には滅多にないことですが、スープも完全に飲み干しました。
とても美味しく、味にはうるさい娘たちも大満足でした。

ご主人は私よりも若いですが、お店を開いて9年目だそうです。
聞きそびれてしまいましたが、もしかしたら勤務先を早期退職しての開店かなという気がしました。
なにやらラーメン屋さんらしからぬ雰囲気が感じられたからです。
8時には閉店で、夫婦2人で、ゆっくりと楽しんでいるような感じでした。
節子がいたら、きっとうらやましがったことでしょう。
とても感じの良いご夫婦でした。

天王台には節子が好きだった泰山という中華料理店がありました。
このお店もとても人気でしたが、もっと賑やかな柏に、昨年、転居してしまいました。
しかし、節子は、そのお店よりも今日の緬倶楽部が気にいったでしょう。
なによりも夫婦2人でやっているのがいいし、節子好みの、清潔感のあるお店なのです。

自分たちのお店を持って、お客様に毎日喜んでもらえる料理を出す。
こんな幸せなことはないでしょう。
節子とは、こんな生活をしたかったと思いました。
なかよく一緒に仕事をしている夫婦を見ると、とてもうれしいです。
私たちには、もういくら望んでも出来ないことですので。

3人で料金は1800円でした。
あのご夫婦は、きっとお客様の笑顔を最大の喜びにしているのでしょう。
そういう生き方を、節子としたかったです。
月1回のオープンサロンを、毎日開催の喫茶店へともっていけなかったのが、とても残念です。

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2013/02/09

■節子への挽歌1983:50本のチューリップ

節子
チューリップが50本、届きました。
新潟の金田さんが、節子にと毎年送ってくださるのです。
早速、節子に供えさせてもらいました。
最近は、わが家の庭のチューリップはモグラに食べられてしまい、ほぼ全滅なのです。
代わりに、毎年、金田さんが送ってきてくれるのです。
供えた後、玄関にも飾り、一部をおすそ分けしました。
明日はお墓にも持っていこうと思います。

Tulip1302

節子
あなたはほんとに幸せ者です。

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2013/02/08

■節子への挽歌1982:湯島の資料整理はなぜか心が冷えてしまいます

節子
最近、湯島をいろいろなグループに開放してきましたが、オフィスとして使用するところも出てきました。
それで私の資料を整理しだしています。
もうかなり整理したのですが、やはり20年も同じところを事務所にしていると、知らず知らずのうちにさまざまな資料がたまってSSっしまうものです。
今日は3時間ほど一人になる時間ができたので、かなり整理を進めました、
なかには節子ともシェアしてきたものもあります。
そういうものが出てくると一瞬、動きが止まります。

湯島のオフィスを開いてからしばらくの間、訪問客の人の写真を撮って、ノートに一言書いてもらっていました。
それも出てきましたが、懐かしい人がたくさんいます。
もう亡くなった方もいます。
この人は誰だろうと思い出せない人もいます。
それにしても、あの頃は節子も私も生き生きとしていました。
新しい生き方への出発でしたから。

しかし、私たちの生き方は、だれにも伝わらなかったのかもしれません。
いまでは大企業になってしまった企業を起こしつつあった人が、私のことを知ってやってきてくれたことがあります。
私を誘いに来てくれたのです。
その人は2時間ほど話して、私がもうビジネスの世界には戻らないことを知って、二度と来ませんでした。
私が考えるビジネスとその人が考えるビジネスは、全く違っていたのです。
昨年も、ある著名な経営学者の方が、私の友人3人ほどから私のことを聞いて、湯島に来てくれました。
2時間ほど話しましたが、一度、一緒に飲みましょうと言ってくれましたが、その後、連絡もなく1年が過ぎています。
そういう感度のいい人もいましたが、多くの人はたぶん私の生き方を理解してはくれなかったと思います。
それでなんとなく付き合ってくれていたのです。
しかし、考えの違いは次第に関係を疎遠にします。
あんなによく通ってきていたのに、最近は全く連絡のない人も少なくありません。
でもそうした人たちに支えられて、私の世界は豊かな世界になっていたのです。
世間から中途半端に脱落した生き方は、退屈はしません。
しかも節子が付き合ってくれていたから、私には申し分ない生活でした。
佐藤さんはどうやって暮らしているのか、とよく質問されましたが、今から考えると実に豊かな暮らしでした。
お金で苦労したことは、私自身は一度もありませんでしたし。
よくまあ好き勝手にいろんなことに取り組めたものだと思います。
節子や娘たちには、苦労をかけたのかもしれません。

まあそんなことを思い出してしまう資料がいろいろと出てきました。
節子がいたら、きっと話が盛り上がったのでしょうが、一人で整理していると寂しくなるだけです。
そろそろ誰かが夜の集まりにやってきそうです。
こういう時間も、節子とは何回も体験した時間です。
何だか心が冷えてきました。
困ったものです。

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■節子への挽歌1981:そろそろ桜の季節です

節子
早咲きの河津桜が咲き出したというニュースが聞かれるようになってきました。
今日もまだ寒いですが、春が近づいてきているのを感じます。
庭の草花も芽吹きだしています。
房総半島は、もう花でいっぱいかもしれません。

節子がいなくなってからいくつかの変化がありますが、自然とのふれあいが激減したこともその一つです。
この数年、お花見にも行かず、秋の紅葉もほとんど無縁ですごしてきました。
わが家の庭の花木も、いささか手入れ不足で元気をなくしてしまっています。
今年は少し、こうした状況を変えようかと思います。

節子との出会いは、桜の季節でした。
まさか節子と結婚するとは思ってもいませんでしたし、まさか節子が私よりも先に逝ってしまうとは思ってもいませんでした。
人生は思いもかけぬように展開するものです。
思いがけない展開をしない花がうらやましいです。

節子は桜が好きでした。
発病後、一時よくなった時、ともかく桜の花見につき合わされました。
節約家の節子が安いツアーに申し込んだせいで、まだ花が咲いていない弘前公園にも行きました。
その年の開花が遅れていたためですが、開花が遅れても、花は必ず咲きます。
花がほとんど終わったところに行ったこともありますが、花は季節が巡ってくれば、また咲きます。
桜のように、季節がくれば、また開花するようないのちがうらやましいです。
せめて人生を2回繰り返せたら、と思います。
1回だけの人生は、私のように思慮の浅い人間には後悔だらけです。
節子への接し方も、今にして思えば、あまりにも粗雑でした。
節子への約束も果たせないまま、節子との別れがやってきてしまいました。
せめてもう一度だけ、人生を繰り返せるのであれば、たった1日だけでもいいのですが、最高の過ごし方ができるでしょう。

そう思えるのは、二度と人生を繰り返せないからなのかもしれません。
しかし、まだ人生を共にしている人たちが、その人生を大事にしていないのをみると、無性に腹が立ってきます。
それがたとえテレビのドラマや映画であってもです。

伴侶がいるのであれば、何をおいても、今年の春は、桜を一緒に見に行くことをお勧めします。
桜が教えてくれることは、たくさんあります。

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■節子への挽歌1980:惜しまれることなく愛しまれる人の幸せ

節子
最近、市川團十郎さんが亡くなりました。
66歳でした。
訃報や葬儀に関するニュースをテレビで見るのは、私は好きではありません。
「お別れ会」は、そのもの自体が好きではありませんから、テレビも見ません。
ちなみに、親しい友人であろうと、「お別れ会」には参加しません。
なにやらはしゃいでいるようで、違和感があるのです。

しかし、時々、ニュースで死者を悼む人の話を見聞することがあります。
時々、気になる言葉があります。
「惜しい人を亡くした」「もったいない」というような言葉です。
「惜しくない人」がいるのかというのは「ひがみ」でしょうが、「もったいない」という言葉には昔から抵抗がありました。
もったいないと思う対象は何なのでしょうか。
これはひがみではなく、「もったいない」と思われることへの「同情」です。
これもしかし、「ひがみ」かもしれません。

團十郎のように、存在感があり、社会の大きな一角を占めているような人になると、その喪失はたくさんの人に影響を与えます。
ですから多くの人が「惜しい」と思い、社会そのものにも大きな損失を与えることは間違いありません。
でも、「もったいない」という言葉には、どこか違和感を持ちます。

新聞やテレビで、有名人の訃報が報じられるたびに、私はむしろ、その人の身近な人の悲しみを思います。
愛する人を愛(お)しむことと社会の中で大きな役割を担っていた人を惜しむことは、全く別の話です。
惜しまれることなく愛しまれる人の幸せもあるのかもしれません。
「もったいない」人にはなれなかった人のひがみかもしれませんが。

愛する人を喪う体験をすると、人は言葉に敏感になるのかもしれません。

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2013/02/07

■節子への挽歌1979:自分は何者か

節子
昨日、ある人から言われました。
佐藤さんを友人に紹介しようと思ったのですが、どう紹介したらいいか、困りました。
同席していた2人の人も、そうだとうなずきました。
私も、うなずいてしまいました。
私はいったいどういう自己紹介をしたらいいのか、自分でも戸惑うことがあります。
私は、自己紹介がとても苦手なのです。
もしかしたら、確たる実体がない、亡霊のような存在なのかもしれません。

たぶん私は社会から少しずれて生きているのだろうと思います。
学生の頃から、なんとなくそれは自分でも感じていました。
自分の生きる基準はかなり意識していましたが、自分を固定したくない思いも強かったのです。
社会の大きな流れには、いつもどこかで反発していました。
そのためか、なかなか普通の社会には溶け込めないのです。
酒も飲まず、ゴルフもせず、カラオケも嫌いで、世間的な意味での人付き合いも苦手です。
にもかかわらず、気がついてみたら、たくさんの友人たちに支えられていたのですから、人生はわからないものです。
「自分は何者か」などという問いは、答えのない問いなのでしょう。
自己紹介は、その時の気分でしか行えませんが、なんとなく便利な自己紹介をみんな考えてしまうわけです。
しかし、世間に通用する肩書きや職業が、その人を語っているわけではありません。

定年後の人生を取材していた、ある雑誌の編集者から、定年後を考えるって、単にお金や健康について心配することではなく、「自分と向き合うこと」なんですね、と手紙がきました。
私が取材を受けたわけではないのですが、取材の前にちょっと相談を受けていたからです。
手紙の最後に、「佐藤さんはとっくにご存知のことかもしれませんが」と書いてありました。
「自分に向き合い」ことも、多くの人は、避けて生きているように思います。

自分を一番知らないのは自分だ、とも言われますが、そうなのかもしれません。
しかも、一番知っているように思っているから、とてもやっかいです。
しかし、生活を共にし、心を開いた伴侶がいれば、自分はかなり見えてきます。
自分を相対化できるからです。
3次元の世界に生きている私たちは、3つの視座があれば、かなり全体が見えてくるのです。
私は、節子のおかげで、自分と言うものがつかめたような気がします。
もっとも、それは節子と結婚して、20年以上たってからです。
そして、節子のおかげで、ますます自分になり、自分を生きることができるようになったように思います。
節子もまた、たぶんにそうだったような気がします。
その節子がいなくなってしまうと、時に自分が見えなくなってしまいます。
最近また、自分とはなんだろうと、揺れることがあります。
注意しないとまた自分の世界に引き込まれそうです。

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■暴力の配分システム

柔道界での暴力・パラハラ問題がむしろ広がりを見せていますが、解決に向かっての方策はなかなか出てきていないように思います。
桜宮高校の体罰問題と同じように、私には問題の捉え方が違っているように思えるので、コメントする気にもなりませんが、いつもこうした問題が起こると気になることがあります。

近代国家の存在基盤のひとつは、暴力の独占です。
つまり、リンチ(私刑)は禁止されたのです。
個人的な暴力は禁じられ、国家のみが戦争や刑罰で、暴力を「合法的に」に行うことができるようになったのが、近代国家です。
しかも、国家の主権は国民にあるという場合には、国家の行う暴力は、つまりは国民の行う暴力と言うことになり、責任の所在は国民になっていきます。
つまり国民主権の国家における暴力は、国外に対してはすべて防衛的なものになり(戦争はすべて防衛の名目で行われますので、すべて「自衛」戦争です)、国内においてはすべて自虐行為になります。
そこでは多くの場合、個人としての人間ではなく、国家という「システム」が発想の起点です。
そうした状況の中で、コラテラルダメッジが行われ、冤罪が引き起こされます。
また一部の「代理人」に暴力行使権が配分されます。
つまり暴力は「パワハラ」の一つの手段でしかありません。

ところで、国家はその内部構造にさまざまなサブシステムを持っています。
学校も、家族も、企業も、全柔連、山口組も、宗教組織も、そうしたサブシステムです。
そうしたサブシステムに、国家は自らが独占している暴力を配分しているわけです。
そのため暴力団体やあまり宗教とは思えないような宗教組織が、国家の法律によって存在を認められ、暴力の行使さえもが許されているわけです。

たとえば、最近でこそドメスティック・バイオレンスとして外部の干渉が合法化され、犯罪行為になるようになりましたが、かつては家族内での暴力(身体的な暴力だけではなく、身売りなども含め)は国家のそれと同じようにある段階まではとがめられませんでした。
そうした構図は、今もなお、いたるところにあります。
学校では体罰として受容され、スポーツ界では指導として受容されています。
桜宮高校の顧問も柔道の監督も、学校やスポーツ界という国家のサブシステムに守られていればこそ、逮捕さえされません。
普通であれば、逮捕されるような事案だと私は思いますが、国民の多くもまた、体罰や指導として許してしまっています。
それに相変わらず、「体罰」とか「指導」などという言葉が使われ、事実を覆い隠しています。
そこに、私は国民がいかに深く国家に呪縛されているかを感じます。

国家による暴力管理は、サブシステムにおける暴力管理の上に成り立っているわけです。
銃社会のアメリカは、少し構図が違うように思いますが、そこでは時々、個人の暴力の暴走があります。
しかし、これもまたひとつの暴力管理構造かもしれません。
こうした状況を生き抜くためには、自らが暴力に依存しないことでしょう。
そういう生き方をしていきたいと思っていますが、時に抑えがたい邪悪な怒りが心に芽生えるのが悲しいです。

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2013/02/06

■節子への挽歌1978:外は雪です

節子
また雪です。寒いです。
その上、ちょっと体調まで崩してしまいました。
今年はコタツをたてずに冬を超えようと思っているのですが、コタツに入りたい気分です。
午後から出かける予定ですが、今日は午前中、外出をやめて家で安静にしていました。
外はみぞれですが、風も強く、寒々さが伝わってきます。

もし節子がいたら、どんな暮らしになっているかなとふと考えてしまいました。
今とはかなり違う生き方になっているはずです。
考えてみると、生き方を変えようと思って、私が1年間、仕事を辞めるという時に、節子の胃がんが発見されてしまったのです。
人生はいかにも皮肉です。
私の身体の状況が悪かったのに、その私はなんともなく、節子が病魔にとらわれてしまったのです。
最後のオープンサロンの時の節子からは、そんなことは思いもしませんでした。

節子がなんともなかったら、私たちの第3のステージはどんなものになっていたでしょうか。
おそらく慎ましやかに、静かに、あまり世俗には関わることなく、しかし世俗との縁を深めながら、ゆっくりと暮らしていたはずです。
もしかしたら、湯河原に転居していたかもしれません。
地中海地方への安価なツアーにも参加していたでしょう。
今日のような寒い日は、コタツでみかんを食べながら、意味もない四方山話をしていたでしょう。

雪はまだ降っています。
さてそろそろ出かけますか。
ちょっと気が重いですが。

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2013/02/05

■節子への挽歌1977:人は本来、癒しあう関係で、生きている

節子
挽歌の読者のSさんからメールが来ました。
愛する人を失ってから、もう6年が経つそうです。
時々、メールをくださるのですが、しばらくなかったので気になっていました。
元気さが、少し感じられる内容でした。

最初は本当に苦しい日々の中生きていましたが、さすがに6年も過ぎると、相変わらず淋しい気持ちは毎日ですが、一人で暮らすことに慣れてきました。
佐藤様が羨ましいのは、身内(娘様)がいられることです。私は本当にたった一人で、何があっても誰も助けてはくれません。その代わり誰も文句を言う人もいないので、全て自分の責任の中で生きています。
今回はちょっとうれしい報告もありました。
Sさんは、悲しみから会社を辞めてしまっていたようですが、いまは高齢者福祉施設でお仕事をされているというのです。
ビジネスの世界から介護の世界へと大きく転身されたわけですが、愛する人との別れによって、人の生き方は変わります。
いろいろとご苦労はあったと思いますが、仕事にも慣れ、最近、責任あるポジションまで任されたそうです。
他人事ながら、とてもうれしいです。

さらにうれしいことが書かれていました。
介護と言う仕事へのSさんの姿勢です。

私の介護に対する考えは、入居者にできるだけ長生きしてもらうのではなく、残された時間を毎日穏やかに、明るく楽しく暮らして行ってもらうというものです。
そのためには、フロアの職員にストレスがたまるものではいけないので、フロアの職員ものびのびと毎日を暮らせるように雰囲気を作っていきたいと思っています。
とても共感できます。
人によって考えは違うでしょうが、私もSさんに共感します。
愛する人を失うと、生きることの意味も変わるのです。

Sさんは、つづけてこう書いています。

利用者はいろいろな方がいますが、だいたいは伴侶を亡くし家族から離れ淋しい思いで暮らしています。そこに寄り添うといっても難しいですが、そこを目指し毎日通っています。若い介護職には本当にその気持ちを理解するのは難しいものですが。
毎日の中では、逆に利用者に癒してもらっている感が強いです。それで私の気持ちが安定しているのかもしれません。
感激しました。
自らを癒してもらえればこそ、人は他者を癒してもやれるのです。
私がもし気が萎えているとすれば、それは誰かの気を癒すことを最近怠っているからでしょう。
そのことに気づきました。

Sさんには、決して「たったひとりではない」と返事を書きました。
癒してくれる人がいるのですから、一人であるはずがありません。
人は本来、癒しあう関係で、生きているのです。

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2013/02/04

■節子への挽歌1976:大きな人生

節子
テレビ番組「小さな村の物語イタリア」のプロデューサーの田口さんのエッセイが掲載された日伊協会の機関誌が送られてきました。
前に書きましたが、田口さんが、この挽歌の一部を引用してくださったのです
改めてそのエッセイを読んでみて、前回は読みすごしてしまった、田口さんの一番のメッセージに気づきました。

いま生きているのは、親がいたからこそ・・・・
記憶の中の言葉やイメージが、人生を重ねると明瞭に浮かび上がってくる。
若い時には気づかないものだ。
田口さんのエッセイのタイトルは「小さな村の大きな人生」です。
大きな人生。
田口さんの思いが伝わってきます。
個人の人生は小さくとも、人は大きな人生を紡いでいるのです。
それは、この番組を観ているとよくわかります。
そして、最近の私たちの生き方は間違っているのではないかと思わせられるのです。
心に深くしみこんでくるような番組です。

ところで、田口さんは、この文章に続いて、「話は変わるかもしれないが、番組を放送した後は、反響が気になる」と書いた上で、この挽歌を紹介してくれているのです。
このつながりが、私にはとてもうれしく思えました。

私の場合、今はまだ親よりも節子の言葉やイメージが浮かび上がってくるのです。
親から子どもへと、時間を紡いでいく物語ではありません。
でも、田口さんは、それもまた「大きな人生」だと受け止めてくれたような気がして、とてもうれしいのです。
私もまた、大きな人生を生きていると思えば、元気が出てきます。
そして最近は、私自身、そう思えるようになってきたのです。
自分の人生は自分だけのものではないのです。

田口さんは、最後にこう書いてくれました。

見えない相手だが、心は見える。
そこにそっと明かりをともすことができれば、それが私たちの仕事なのだ。
私の心には、間違いなく明かりがともされています。
そして、私にも田口さんの心が見えるような気がします。
いつかお会いできる時がくるかもしれません。
なにしろ私たちはみんな、大きな人生を生きているのですから。

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■節子への挽歌1975:生きていくうえでの支え

節子
昨日は少し重い日でした。
3つの相談を受けてしまったからです。
私自身、いささか気が萎えている状況だったのですが、私よりも気の重い人がいるのであれば、受けなければいけません。

その一人と話していて、「生きていくうえでの支え」の必要性を話題にしました。
それがやや揺らいでいるように感じたので、あえてその方向に持っていったのです。
彼は、即座に「家族です」と答えました。
少し安堵しましたが、同時に、少し距離も感じました。
なぜなら、彼には「家族のため」という意識が感じられたからです。
「だれかのため」というのは、私にとっては、言葉だけの世界に思えるのです。

これまでも何回か書いたように、節子は、私にとっての「生きる意味」でした。
それは、節子のために生きると言うこととは違います。
共に生きることが、私にとっての生きることだったのです。
節子が生きることが、私の生きることであり、私が生きることが節子が生きることだったのです。
なにやらわかりにくい説明ですが、たとえばこう書けば伝わるでしょうか。
私は、ささやかな社会活動をしていますが、それは「社会のため」ではありません。
私が生きていくために、それが必要だと思うからです。
社会は私の外部にあるわけではありません。
私は社会であり、社会は私です。
私がいなければ社会は意味がなく、社会がなければ私は生きていないはずです。
「ホロニック」という概念がありますが、まさに私と社会はホロニカルな関係です。
だから私が変われば社会が変わり、社会が変われば私も変わるわけです。
節子と私もまた、そういう関係でしたから、喜怒哀楽もほぼ共有していました。
1人にして2人、2人にして1人。
2つの人生にして一つの人生、一つの人生にして2つの人生。
それがたぶん「人」という文字の形象の意味するところかもしれません。

生きていく支えは、そういう意味では、自分の中にあるともいえます。
言い換えれば、共に生きている人がいるかどうかです。
「ため」の存在ではなく「共」の存在です。
すべての苦楽をシェアできるかどうか、そこがポイントかもしれません。
私たちがそういう意味の関係になれたのは、やはり私が会社を辞めて、苦楽を共にしだしてからです。

生きる支えは、自分の外部にあるのではなく、自らの内部にある。
それをどう伝えるか、これは難題です。
体験すればわかるのですが、体験するためには、その関係がなければできないという、矛盾があるのです。
しかし、支えがあれば、どんな苦しさも超えられるような気がします。
それを彼にまだ伝えられないのが残念です。

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■節子への挽歌1974:すきやき

節子
昨夜はすき焼きでした。
娘たちも一緒に、すき焼きをつつきました。

すき焼きにはいくつかの思い出があります。
結婚する前に、節子の両親の家に行った時に、すき焼きをご馳走になったのです。
そこには、お酒と同時に、コカコーラも用意されていました。
節子が、修さんはコーラが好きだと伝えていたからです。
節子の両親は、コーラは身体に良くないと言ったそうですが、お酒とコーラではいうまでもなくコーラが身体には良くないでしょう。
お酒よりもコーラを思考する私を、節子の両親はどう思ったでしょうか。

節子の両親は、私をすき焼きで歓待してくれました。
それを今でも覚えています。
それ以後も、すき焼きとコーラは、節子の実家に帰るたびに繰り返されました。
しかし残念ながら、私はすき焼きはあまり好きではないのです。
好きなのは、美味しい漬物とお味噌汁と、美味しい白米です。
節子の母親がつける漬物はとても美味しかったですが、残念ながら、それはお客さんに出すものではなかったのです。
本当は、すき焼きではなく漬物を食べたかったのですが、漬物を十分に食べられるようになったのは、私のことを両親がよく知ってからです。

節子は、私の食生活に合わせてくれました。
それでも時々、すき焼きでした。
節子がいなくなってから、娘たちは私に合わせて、すき焼きよりもさっぱりした鍋をする事が多くなりました。
それが、昨夜はすき焼きでした。
節子の誕生日を意識して、ユカが準備したのかもしれません。
久しぶりにすき焼きは美味しかったです。

すき焼きを食べながら、娘たちと節子の話をしました。
節子の分を、仏壇に供えるのを忘れてしまっていましたが、まあにおいは届いたでしょう。
その後、3粒だけのミニ豆まきをしました。
豆まきが好きだった節子には申し訳ないのですが、わが家の節分の豆まきは年々地味になってきています。

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■節子への挽歌1973:節子は何歳になったのでしょうか

節子
今日は節子の誕生日です。
夕方からは雨に向かいそうですが、いまは春のようないい天気です。
午前中は在宅なので、陽ざしを浴びながらゆっくりしています。
娘も外出しているので、私一人です。
外の景色を見ながら、いろいろと節子のことを思い出していました。
昨日は、3人からのいささか深刻な相談を受けていて、疲れきったのですが、それを察してくれたのか、チビ太も明け方までなかずにいてくれました。

節子は、節分の日に生まれたので節子です。
だから節子は友だちにも誕生日を覚えてもらいやすく、電話や手紙が届いていました。

陽ざしの中にいると春のようにぽかぽかしてきます。
身体があたたまると心もぽかぽかしてきます。
わずかに見える手賀沼の湖面の輝きも、心を豊かにしてくれます。
八方ふさがりにいるとは思えないほどの和やかな時間です。
電話がありました。
昨日相談に乗っていた一人の人からの電話でした。
今日、最大の危機はどうやら乗り越えられたようです。
その危機は、私にとっても大きな危機でした。

何とか前に進み出せるかもしれません。
陽ざしの中で、節子と会話したおかげで、新真に余裕が出てきました。
陽ざしのありがたさをつくづく感じます。

節子が亡くなってからもう6回目の誕生日ですから、節子ももう70歳に近づいてきました。
しかし、私の中では、節子は今も62歳です。
したがって私もまだ66歳に気分です。
節子が歳をとるのをやめたのであれば、私の歳も止まったと考えるのが好都合です。
そこで私たちの時間は止まったのです。

闘病時の節子にとっては、誕生日を迎えることがひとつの目標でした。
そして、その目標は4回達成できました。
しかし、そこで時間が終わりました。
以来、私には誕生日は決してうれしいものではなくなりました。
迎えられなかった人に、私の視点は移ったからです。
しかし、そうはいっても今日は私にも特別な日であることには変わりはありません。
節子が迎えられなかった63回目の誕生日に戻って、今日は節子とかなり話し合いました。

節子と話すと、やはり心が安定します。

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2013/02/03

■節子への挽歌1972:八方ふさがりではありますが、大丈夫です

節子
昨日の記事のせいか、早速、ある人から心配のメールが届きました。
何かできることがあれば言ってくださいと書いてありました。
このブログの記事を読んでいると、私がかなり酷い状況にいるように思われるのでしょう。
事実、「酷い状況」にいるのですが、しかし、だからと言って、再起不能と言うわけでもありません。
節子との別れということを体験したことに比べれば、どんな問題も瑣末なことにも思えるのです。
実は、そうした意識が、今回の窮状を生み出した原因でもあるのですが。

まあ、いわば詐欺事件にあったような話なので、娘たちからも呆れられています。
オレオレ詐欺に騙される人がいることを不思議に思っていましたが、自分もその一人だったわけです。
実にお恥ずかしい話です。
まあ、私にはそれなりの理由はあるのですが、たぶん節子以外の人には理解してもらえないでしょう。
私には、金銭が絡む話はそもそもが瑣末な話なのです。

しかし、瑣末なことと思っても、意識と心身はそううまくは整合しません。
よく言われるように、意識と心身は別物です。
その不整合が私の心身のバランスを、いまなお壊し続けます。
特に、夜が辛いのです。夜中に目が覚めるからです。
節子がいたら、こんなことにはならなかったでしょうし、救い出してもくれたでしょう。

愛する人を失うと、人は哲学者になれます。
人生や世界の真実も、その気になれば、見えてきます。
そうなると、意識は大きく変わります。
これは私の体験から学んだことです。
しかし、世界が見えて幸せになれるとは限りません。
意識は変わっても、心身がそれについてこないからです。
それもまた、私の体験から学んだことです。

とまあ、そんなわけで、八方ふさがりではありますが、大丈夫です。
ご心配は不要です。
それに、節子はたぶん心配などしていないでしょう。

年末に、私を心配して会いにきてくれた人が、会ったら元気そうなので安心したと言っていました。
その通りなのです。
でもまあ、外見と内心とは、必ずしも同じではないのですが、人に会うと元気になるのは間違いありません。
今週から少しまた人に会いだしましょう。
先週もその予定でしたが、途中で挫折していました。

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2013/02/02

■節子への挽歌1971:八方ふさがり

節子
八方ふさがりです。
節子がいないからではありません。
これはどうやら今年の私の定めのようです。

数日前に、新聞の挟み込みのチラシに、茨城県の大杉神社の厄払い案内が入っていました。
大杉神社というのは知らなかったのですが、厄払いの詳しい表が出ていました。
そこに、「平成25年八方除・星除をする年回り表」というのがありました。
それによると、私は今年、「八方ふさがり」の年回りなのだそうです。
さらに悪いことに、娘のユカも同じく「八方ふさがり」。
なるほどそうだったのかと、奇妙に納得してしまいました。
しかもしかも、その下の「大凶星」の欄を見ると、なんと次女のジュンが、その年回り。
いやはや今年のわが家は絶望的です。

たしかに、最近の私は八方ふさがりなのですが、この年回り表を見て、ますます心身が凍り付いてしまいました。
年明け後、凶事が降ってくるのは、そのせいなのでしょう。
歴史のある暦のご宣託は素直に信じなければいけません。

節子がいる時であれば、こうした定めも跳ね返す元気が出ました。
凶事は乗り越える楽しみがある、などと強気になっていたはずです。
しかし、最近、気が萎えているせいか、その定めに素直に従おうかと思っています。
八方ふさがりならば、すべての凶事を素直に受け止めて、ただただ耐えればいいわけですし。

それにしても、なんでこうも次々と厄介ごとや不幸が訪れてくるのでしょうか。
神も仏もないとは、このことです。
もっとも、娘たちは、私が誘い込んだことだと言います。
たしかに、自分のためにではなく、他者のために善意を振りまきすぎてしまったためなのです。
分を超えてしまったのでしょう。
楽観主義の私も、さすがに滅入ってしまっています。
節子の応援がほしいです。
精神的に崩れないようにしなければいけません。
凶事は、心身の隙をついてきます。
今年は節分の豆まきをやめようかと思います。
何しろわが家の節分は、節子がいた頃から、「鬼は内、福も内」でした。
ちょっといまは、その余裕がありません。

今日はねむれるといいのですが。

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