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2013/02/02

■節子への挽歌1971:八方ふさがり

節子
八方ふさがりです。
節子がいないからではありません。
これはどうやら今年の私の定めのようです。

数日前に、新聞の挟み込みのチラシに、茨城県の大杉神社の厄払い案内が入っていました。
大杉神社というのは知らなかったのですが、厄払いの詳しい表が出ていました。
そこに、「平成25年八方除・星除をする年回り表」というのがありました。
それによると、私は今年、「八方ふさがり」の年回りなのだそうです。
さらに悪いことに、娘のユカも同じく「八方ふさがり」。
なるほどそうだったのかと、奇妙に納得してしまいました。
しかもしかも、その下の「大凶星」の欄を見ると、なんと次女のジュンが、その年回り。
いやはや今年のわが家は絶望的です。

たしかに、最近の私は八方ふさがりなのですが、この年回り表を見て、ますます心身が凍り付いてしまいました。
年明け後、凶事が降ってくるのは、そのせいなのでしょう。
歴史のある暦のご宣託は素直に信じなければいけません。

節子がいる時であれば、こうした定めも跳ね返す元気が出ました。
凶事は乗り越える楽しみがある、などと強気になっていたはずです。
しかし、最近、気が萎えているせいか、その定めに素直に従おうかと思っています。
八方ふさがりならば、すべての凶事を素直に受け止めて、ただただ耐えればいいわけですし。

それにしても、なんでこうも次々と厄介ごとや不幸が訪れてくるのでしょうか。
神も仏もないとは、このことです。
もっとも、娘たちは、私が誘い込んだことだと言います。
たしかに、自分のためにではなく、他者のために善意を振りまきすぎてしまったためなのです。
分を超えてしまったのでしょう。
楽観主義の私も、さすがに滅入ってしまっています。
節子の応援がほしいです。
精神的に崩れないようにしなければいけません。
凶事は、心身の隙をついてきます。
今年は節分の豆まきをやめようかと思います。
何しろわが家の節分は、節子がいた頃から、「鬼は内、福も内」でした。
ちょっといまは、その余裕がありません。

今日はねむれるといいのですが。

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