■節子への挽歌1994:楽なものからやってはいけない
節子
今日も大事をとって自宅にいました。
しかしやることが山のようです。
さてどうするか。
私は「楽なこと、やりたいことから始める」のが流儀です。
しかし、節子は「やるべきことから始める」流儀でした。
もう一つ違う流儀がありました。
「今日できることは今日やる」と「明日でもいいことは今日はやらない」です。
前者は節子、後者は私です。
もちろん望ましいのは節子流でしょうが、私はどうも不得手です。
それでいつも節子に注意されたり、呆れられたりしていました。
いまとなっては懐かしい思い出です。
節子がいなくなってから、私の流儀はさらに進化しました。
「今日しなければいけないことも明日にのばす」です。
実に困ったものですが、まあ、それでも太陽は出てきますから、大丈夫なのです。
そうしてどんどん自堕落になってしまってきたわけです。
その咎は、当然ながら自らであがなわなければいけません。
それが昨今の私の生活の混乱なのです。
そんなわけで、今日も楽なものから始めましたが、幸いなことに約束事はほぼ完了しました。
しかし、問題はあまりパソコンを続けられないことです。
やはり少し長くやるとおかしくなりそうな気配がします。
明日ももう少し大事をとらなければいけません。
困ったものです。はい。
| 固定リンク
「妻への挽歌10」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2000:2000回を迎えました(2013.03.01)
- ■節子への挽歌1999:節子の手作り雛人形(2013.02.28)
- ■節子への挽歌1998:ルクソール(2013.02.27)
- ■節子への挽歌1997:記憶の共同体(2013.02.27)
コメント
明日でいいことは 今日やってはいけません。
なぜなら、やらなくても良くなることも、ままあるからです。
今日やるべきことも やらない も 同感するところもあります。
なぜなら、まわりが見かねてやってくれるからです。これは まわりを成長させる結果になります。
しかし、人って用事を抱え込むものですね。私もなんとかしたいものです。困ったものですtoo です 笑
投稿: 我孫子のギタリスト | 2013/02/26 19:30