■節子への挽歌1987:魚助の鯖一本寿し
節子
節子の遠縁の塩津の魚助の松井さんのお母さんが今年の初めに亡くなりました。
長いことをお会いしていませんが、節子と一度だけご自宅を訪問したことがあります。
今日、香典のお返しと一緒に、鯖一本寿しが届きました。
松井さんの息子さんは、いま塩津で鮒寿しと鯖寿しをつくっているのです。
鮒寿しはわが家では苦手ですが、松井さんのつくる鯖寿しはとてもおいしいのです。
それを知っているので、たぶん鯖寿しを送ってくれたのでしょう。
松井さんとの付き合いが始まったのは、節子が亡くなってからです。
不思議なものですが、節子が亡くなってからしばらくして息子さんがわが家にやってきたのです。
節子の亡くなったことを誰かに聞いて知ったのだそうです。
実は、息子さんとはそれまで全く付き合いはありませんでした。
にもかかわらず、なぜか弔問にわざわざやってきてくれたのです。
そのことはたぶんこの挽歌に書いたはずです。
松井さんはいまは奥琵琶湖のほとりの塩津で、お店を開いています。
かなりのロマンティストで、いろいろと夢を持っています。
滋賀に行ったときには、時にお会いして、その夢の話も聞きましたが、最近は私があまり滋賀には行けなくなってしまい、ご無沙汰してしまっていました。
魚助の鮒寿しは評判も高く、ファンも多いです。
わが家では、節子だけが鮒寿しが食べられましたが、後は全員不得手です。
ここまで書いて、少し記憶があいまいなことに気づきました。
もしかしたら、節子は生前に松井さんの鮒寿しを食べたかもしれません。
そんな気がしてきました。
挽歌を読み直せば、事実がわかるでしょうが、まあ曖昧なままにしておくのもいいでしょう。
もしかしたら、節子に食べさせたかったという思いが、私の記憶をつくりかえているのかもしれません。
あるいは、食べられなかったとことへの無念さを味わいたくて、私の記憶が動いているのかもしれません。
最近、こうしたことを時々、体験しています。
過去はいくらでも変えられると何かの本で読みましたが、まさにそのとおりなのです。
しかし、節子と一緒に奥琵琶湖の魚助で、美味しい料理を食べることは、もうできません。
変えられないのは、過去ではなくて、現在なのです。
節子
なんだかとても悲しいです。
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