■節子への挽歌1989:なるようになる
節子
どうも最近時間がなくて困っています。
毎週日曜日にはホームページを更新していますが、最近それも滞り気味です。
ブログもここ数日、時評編は書けていません。
一番心配なのは、3月2日に開催することを決めた集まりの告知や準備がほとんどできていないことです。
会場は今日、やっと決まりましたが。
テレビ局からの問い合わせもあるのですが、まあそんな状況です。
普通の神経だと胃が痛くなりますが、まあなるようになると開き直っているせいか、今のところは大丈夫です。
昨日、地元のある集まりに出かけたら、佐藤さんはこの頃、自転車を飛ばして走り回っていますね、とある人に言われました。
私はその人に会った覚えはあまりないのですが、脇目もふらずに自転車をこいでいるのでしょう。
困ったものです。
今年のNHKの大河ドラマの「八重の桜」に関連して、「ならぬものはならぬ」という言葉がよく紹介されていますが、この言葉は裏を返せば、「なるものはなる」、つまり「なるようになる」ということでしょう。
この歳になると、どうせなら会津人のように肩に力を入れることなく、「なるものはなる」「なるようになる」という裏面を信条にしたい気がします。
しかし現実はそれほどあまくなく、そうしたいい加減な生き方をしていると手ひどい目に合うこともあります。
もっとも、どんな手ひどい状況に見舞われても、「ならぬものはならぬ」ですから、結局は「なるようになる」わけです。
時間がないと言いながらも、最近また読書にはまっています。
昨夜は4時半に目が覚めてしまったのですが、そこから枕元においてあった、柄谷行人さんの「哲学の誕生」を読んでしまいました。
ギリシアよりイオニアに注目しているので、とてもうれしく、トルコ旅行を思い出しながら、読んでしまいました。
たぶんいい加減に生きているので、時間破産になっているのでしょう。
困ったものですが、節子がいないと時間をどう使っていいかわからなくなるのです。
組織からも自由、伴侶からも自由だと、時間の使い方が下手になります。
さてさてどう立て直すか。
もう1か月以上、こんな状況が続いています。
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