■節子への挽歌1978:外は雪です
節子
また雪です。寒いです。
その上、ちょっと体調まで崩してしまいました。
今年はコタツをたてずに冬を超えようと思っているのですが、コタツに入りたい気分です。
午後から出かける予定ですが、今日は午前中、外出をやめて家で安静にしていました。
外はみぞれですが、風も強く、寒々さが伝わってきます。
もし節子がいたら、どんな暮らしになっているかなとふと考えてしまいました。
今とはかなり違う生き方になっているはずです。
考えてみると、生き方を変えようと思って、私が1年間、仕事を辞めるという時に、節子の胃がんが発見されてしまったのです。
人生はいかにも皮肉です。
私の身体の状況が悪かったのに、その私はなんともなく、節子が病魔にとらわれてしまったのです。
最後のオープンサロンの時の節子からは、そんなことは思いもしませんでした。
節子がなんともなかったら、私たちの第3のステージはどんなものになっていたでしょうか。
おそらく慎ましやかに、静かに、あまり世俗には関わることなく、しかし世俗との縁を深めながら、ゆっくりと暮らしていたはずです。
もしかしたら、湯河原に転居していたかもしれません。
地中海地方への安価なツアーにも参加していたでしょう。
今日のような寒い日は、コタツでみかんを食べながら、意味もない四方山話をしていたでしょう。
雪はまだ降っています。
さてそろそろ出かけますか。
ちょっと気が重いですが。
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