■節子への挽歌1976:大きな人生
節子
テレビ番組「小さな村の物語イタリア」のプロデューサーの田口さんのエッセイが掲載された日伊協会の機関誌が送られてきました。
前に書きましたが、田口さんが、この挽歌の一部を引用してくださったのです。
改めてそのエッセイを読んでみて、前回は読みすごしてしまった、田口さんの一番のメッセージに気づきました。
いま生きているのは、親がいたからこそ・・・・田口さんのエッセイのタイトルは「小さな村の大きな人生」です。
記憶の中の言葉やイメージが、人生を重ねると明瞭に浮かび上がってくる。
若い時には気づかないものだ。
大きな人生。
田口さんの思いが伝わってきます。
個人の人生は小さくとも、人は大きな人生を紡いでいるのです。
それは、この番組を観ているとよくわかります。
そして、最近の私たちの生き方は間違っているのではないかと思わせられるのです。
心に深くしみこんでくるような番組です。
ところで、田口さんは、この文章に続いて、「話は変わるかもしれないが、番組を放送した後は、反響が気になる」と書いた上で、この挽歌を紹介してくれているのです。
このつながりが、私にはとてもうれしく思えました。
私の場合、今はまだ親よりも節子の言葉やイメージが浮かび上がってくるのです。
親から子どもへと、時間を紡いでいく物語ではありません。
でも、田口さんは、それもまた「大きな人生」だと受け止めてくれたような気がして、とてもうれしいのです。
私もまた、大きな人生を生きていると思えば、元気が出てきます。
そして最近は、私自身、そう思えるようになってきたのです。
自分の人生は自分だけのものではないのです。
田口さんは、最後にこう書いてくれました。
見えない相手だが、心は見える。私の心には、間違いなく明かりがともされています。
そこにそっと明かりをともすことができれば、それが私たちの仕事なのだ。
そして、私にも田口さんの心が見えるような気がします。
いつかお会いできる時がくるかもしれません。
なにしろ私たちはみんな、大きな人生を生きているのですから。
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