■節子への挽歌1979:自分は何者か
節子
昨日、ある人から言われました。
佐藤さんを友人に紹介しようと思ったのですが、どう紹介したらいいか、困りました。
同席していた2人の人も、そうだとうなずきました。
私も、うなずいてしまいました。
私はいったいどういう自己紹介をしたらいいのか、自分でも戸惑うことがあります。
私は、自己紹介がとても苦手なのです。
もしかしたら、確たる実体がない、亡霊のような存在なのかもしれません。
たぶん私は社会から少しずれて生きているのだろうと思います。
学生の頃から、なんとなくそれは自分でも感じていました。
自分の生きる基準はかなり意識していましたが、自分を固定したくない思いも強かったのです。
社会の大きな流れには、いつもどこかで反発していました。
そのためか、なかなか普通の社会には溶け込めないのです。
酒も飲まず、ゴルフもせず、カラオケも嫌いで、世間的な意味での人付き合いも苦手です。
にもかかわらず、気がついてみたら、たくさんの友人たちに支えられていたのですから、人生はわからないものです。
「自分は何者か」などという問いは、答えのない問いなのでしょう。
自己紹介は、その時の気分でしか行えませんが、なんとなく便利な自己紹介をみんな考えてしまうわけです。
しかし、世間に通用する肩書きや職業が、その人を語っているわけではありません。
定年後の人生を取材していた、ある雑誌の編集者から、定年後を考えるって、単にお金や健康について心配することではなく、「自分と向き合うこと」なんですね、と手紙がきました。
私が取材を受けたわけではないのですが、取材の前にちょっと相談を受けていたからです。
手紙の最後に、「佐藤さんはとっくにご存知のことかもしれませんが」と書いてありました。
「自分に向き合い」ことも、多くの人は、避けて生きているように思います。
自分を一番知らないのは自分だ、とも言われますが、そうなのかもしれません。
しかも、一番知っているように思っているから、とてもやっかいです。
しかし、生活を共にし、心を開いた伴侶がいれば、自分はかなり見えてきます。
自分を相対化できるからです。
3次元の世界に生きている私たちは、3つの視座があれば、かなり全体が見えてくるのです。
私は、節子のおかげで、自分と言うものがつかめたような気がします。
もっとも、それは節子と結婚して、20年以上たってからです。
そして、節子のおかげで、ますます自分になり、自分を生きることができるようになったように思います。
節子もまた、たぶんにそうだったような気がします。
その節子がいなくなってしまうと、時に自分が見えなくなってしまいます。
最近また、自分とはなんだろうと、揺れることがあります。
注意しないとまた自分の世界に引き込まれそうです。
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