■節子への挽歌1996:夢からの暗示
節子
相変わらず最近、よく夢を見ます。
一時期ほど、節子は登場しませんが、いつも懐かしい人が順番に登場します。
なにやら迎えが来る前にいろいろな人が登場するような気がしないでもないですが、ある事情があって、少なくともあと3年は、私は此岸にとどまることにしています。
それにしても、毎晩、よくいろんな夢が見られます。
もっとも、ほとんどの場合、うまくいく夢ではありません。
まぜか思い通りに行かずに、課題を残すことが多いのです。
「夢はいろいろな連想の短縮された要約として姿を現している。しかしそれがいかなる法則に従って行われるかはまだわかっていない」とフロイトは書いていますが、まさにその通りです。
もっとも、どんな夢を見たかは、おどろくほど完全に忘れてしまいます。
目覚めた直後には鮮明な記憶があるのですが、30分も立つときれいに忘れてしまいます。
記憶しておこうと意識しておくと意外と記憶は残りますが、そうでないとそれこそ二度と思い出せなくなります。
記憶のあるうちに記録をしておけばいいのですが、そんなことは私の性には合いません。
しかし、これもまた不思議なのですが、明確な記憶はないのに、なんとなく懐かしい人が出てきて、懐かしい場面の再現だったりという、漠然とした記憶は残っています。
また数回にわたって登場する人もいます。
その人は、私の面識のない人なのですが、数年にわたってみているので、何か知っている人なのではないかと思えるほどです。
最近夢に出てきませんが、昔は、よく登場する3つの廃寺がありました。
その一つには、三千院の阿弥陀如のような仏があり、いつもすぐ横で拝めましたし。最後(なぜか13番目のお寺という意識がありますが)の廃寺にはとてもやさしい五重塔が残っていました。
この塔は、いつも見えるわけではなく、日によって現れる不思議な塔でした。
この夢をよく見たのは、節子がいるときでした。
節子がいなくなってからは、一度も見ていません。
夢の世界も、節子がいなくなってからは間違いなく変わりました。
節子がいなくなった後、彼岸につながっている鉄道の夢を2回見ました。
一つは、ハリー・ポッターのように、ある駅に重なって「見えないホーム」がありましたし、もう一つは駅名まではっきりとした駅の入り口にたくさんの人が乗り込んでいる夢でした。
目が覚めてからパソコンで、その駅の名前を検索しましたが、見つからなかったことを覚えています。
その種の夢は、その後は見ていません。
なんだかおかしな話を書いてしまいましたが、夢は何を示唆しているのでしょうか。
最近は夢でうなされることもなくなりましたが、輝くような夢も見なくなりました。
それに、最近は節子もはっきりとした姿では夢に現れません。
私もまた、夢を見たいという意識が薄れてきました。
見たい夢がないせいか、最近はわけのわからない夢が押し寄せているのかもしれません。
夢は不思議な存在です。
人の生のバランスもとってくれますし。
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