■節子への挽歌1981:そろそろ桜の季節です
節子
早咲きの河津桜が咲き出したというニュースが聞かれるようになってきました。
今日もまだ寒いですが、春が近づいてきているのを感じます。
庭の草花も芽吹きだしています。
房総半島は、もう花でいっぱいかもしれません。
節子がいなくなってからいくつかの変化がありますが、自然とのふれあいが激減したこともその一つです。
この数年、お花見にも行かず、秋の紅葉もほとんど無縁ですごしてきました。
わが家の庭の花木も、いささか手入れ不足で元気をなくしてしまっています。
今年は少し、こうした状況を変えようかと思います。
節子との出会いは、桜の季節でした。
まさか節子と結婚するとは思ってもいませんでしたし、まさか節子が私よりも先に逝ってしまうとは思ってもいませんでした。
人生は思いもかけぬように展開するものです。
思いがけない展開をしない花がうらやましいです。
節子は桜が好きでした。
発病後、一時よくなった時、ともかく桜の花見につき合わされました。
節約家の節子が安いツアーに申し込んだせいで、まだ花が咲いていない弘前公園にも行きました。
その年の開花が遅れていたためですが、開花が遅れても、花は必ず咲きます。
花がほとんど終わったところに行ったこともありますが、花は季節が巡ってくれば、また咲きます。
桜のように、季節がくれば、また開花するようないのちがうらやましいです。
せめて人生を2回繰り返せたら、と思います。
1回だけの人生は、私のように思慮の浅い人間には後悔だらけです。
節子への接し方も、今にして思えば、あまりにも粗雑でした。
節子への約束も果たせないまま、節子との別れがやってきてしまいました。
せめてもう一度だけ、人生を繰り返せるのであれば、たった1日だけでもいいのですが、最高の過ごし方ができるでしょう。
そう思えるのは、二度と人生を繰り返せないからなのかもしれません。
しかし、まだ人生を共にしている人たちが、その人生を大事にしていないのをみると、無性に腹が立ってきます。
それがたとえテレビのドラマや映画であってもです。
伴侶がいるのであれば、何をおいても、今年の春は、桜を一緒に見に行くことをお勧めします。
桜が教えてくれることは、たくさんあります。
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