■節子への挽歌1997:記憶の共同体
節子
J・S・ミルは、150年前に出版した『代議制統治論』のなかで、「記憶の共同体」という言葉を使っています。
「国民性(nationality)」に関連して述べている文章があります。
「人類のある一部分が、共通の諸共感によってお互いにひとまとまりとなり、その共感は、他のどんな人々とのあいだにも存在しないようなものであれば、彼らは一つの国民を形成するといってよいだろう。」
そして、人々をつなげる最も強い要素として、ミルはこう書いています。
「全てのうちでもっとも強力なのは、国民の歴史を有することと、その結果として記憶の共同体をなしていること、すなわち、過去の同じ出来事にかんする、集団として誇りと屈辱、喜びと悔恨を持つということである。」
あえて、挽歌にまでミルを持ち出すこともないのですが、この「記憶の共同体」という言葉はとても気にいっています。
夫婦や家族は、まさに「記憶の共同体」だからです。
その記憶は、写真や文字で残されることもありますが、そのほとんどはそれぞれの心身の中に埋め込まれ、あるいは関係性の中に蓄積されているのです。
節子が元気だったころ、私は写真やビデオをとるのが好きでしたが、いなくなってからはまったくといっていいほど、撮らなくなりました。
そればかりではなく、撮りためたビデオや写真への関心もすっかりなくなってしまいました。
記録されたものは、実際には瑣末なものかもしれません。
愛する家族を亡くした人が、その人が使っていた部屋を片付けもせずにそのままにしているのは、まさに「記憶の共同体」を壊したくないからです。
私もまた同じように、節子の生活のにおいがするところは、あまり変えたくないと思っています。
私は、いまなお節子との「記憶の共同体」に生きているからかもしれません。
「記憶の共同体」は時間をかけて育ってくるものです。
無理につくろうとしても、つくれるものではありません。
節子は病気になってから、よく、「またひとつ修との思い出ができた、家族との思い出ができた」と話していましたが、そんな思い出よりも、たわいのない日常の思い出のほうが、「記憶の共同体」には重要なのです。
でもまあ、そういう時の節子の気持ちはよくわかります。
節子は、そういいながら、限られた毎日をとても大事にしていたのですから。
それに十分に応えていなかったことは、いくら後悔しても後悔が残ります。
しかし、節子との「記憶の共同体」はいまなおしっかりと残っています。
その共同体に、今も支えられているのです。
どんなに仲たがいしている夫婦であろうと、かならず「記憶の共同体」はお互いを支えています。
願わくば、多くの夫婦がそれに気づいてくれるといいなと思います。
一度つくった夫婦の絆を壊してはほしくありません。
手に入れたくとも手に入れられない人も存在していることを忘れないでほしいです。
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