■節子への挽歌1998:ルクソール
節子
エジプトのルクソールで観光用熱気球が炎上して墜落すという事故が起きました。
日本人4人を含む19人が死亡したといいます。
事故はとても痛ましく残念ですが、ルクソールの上空からの風景は見事でしょう。
王家の谷も2つの大神殿も上から見ないと全貌はつかめません。
危険を承知で熱気球に乗りたくなる人の気持ちはよくわかります。
できることなら、私も上からルクソールを見てみたいです。
わが家の最初の家族旅行はエジプトでした。
私が会社を辞めて、時間が取れるようになったので、家族に提案してエジプトを選びましたが、節子はなんでエジプトなの?という感じでした。
私と違って、節子にとっては遺跡は泥の塊でしかなかったのです。
実際にエジプトに行ってから、節子はエジプト好きになりましたが、本当は遺跡よりは自然や都市が節子の好みだったのです。
ルクソールでの思い出はいろいろありますが、たしかホテルで夫婦喧嘩をしてしまったような気がします。
それで自由時間にルクソールの市場に出かけたのですが、たしか節子は別行動でした。
そのため、ルクソールの市場でのお土産はありません。
ルクソールの神殿は実に私好みでした。
その反面、王家の谷の印象はほとんどありません。
話題のツタンカーメンの墓は閉じられていましたし、どこの墓に入ったかさえ覚えていません。
まあ観光で見たものは意外と忘れますが、夫婦喧嘩はなかなか忘れません。
困ったものです。
ルクソール神殿は、遺跡は泥の塊だと言っていた節子にも感動的だったようです。
以来、私たちの海外旅行は、ギリシア、トルコ、イランと、古代遺跡ばかりだったのですが、節子は反対せずにいつも喜んでいました。
もし節子が元気だったら、もう一度、エジプトには行ったはずです。
ルクソールにはたくさんの遺跡がありますから、今度は夫婦喧嘩などせずに、ゆっくりと滞在したかったものです。
そのルクソールに、もう行くことがないと思うと、とても残念です。
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