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2013/02/03

■節子への挽歌1972:八方ふさがりではありますが、大丈夫です

節子
昨日の記事のせいか、早速、ある人から心配のメールが届きました。
何かできることがあれば言ってくださいと書いてありました。
このブログの記事を読んでいると、私がかなり酷い状況にいるように思われるのでしょう。
事実、「酷い状況」にいるのですが、しかし、だからと言って、再起不能と言うわけでもありません。
節子との別れということを体験したことに比べれば、どんな問題も瑣末なことにも思えるのです。
実は、そうした意識が、今回の窮状を生み出した原因でもあるのですが。

まあ、いわば詐欺事件にあったような話なので、娘たちからも呆れられています。
オレオレ詐欺に騙される人がいることを不思議に思っていましたが、自分もその一人だったわけです。
実にお恥ずかしい話です。
まあ、私にはそれなりの理由はあるのですが、たぶん節子以外の人には理解してもらえないでしょう。
私には、金銭が絡む話はそもそもが瑣末な話なのです。

しかし、瑣末なことと思っても、意識と心身はそううまくは整合しません。
よく言われるように、意識と心身は別物です。
その不整合が私の心身のバランスを、いまなお壊し続けます。
特に、夜が辛いのです。夜中に目が覚めるからです。
節子がいたら、こんなことにはならなかったでしょうし、救い出してもくれたでしょう。

愛する人を失うと、人は哲学者になれます。
人生や世界の真実も、その気になれば、見えてきます。
そうなると、意識は大きく変わります。
これは私の体験から学んだことです。
しかし、世界が見えて幸せになれるとは限りません。
意識は変わっても、心身がそれについてこないからです。
それもまた、私の体験から学んだことです。

とまあ、そんなわけで、八方ふさがりではありますが、大丈夫です。
ご心配は不要です。
それに、節子はたぶん心配などしていないでしょう。

年末に、私を心配して会いにきてくれた人が、会ったら元気そうなので安心したと言っていました。
その通りなのです。
でもまあ、外見と内心とは、必ずしも同じではないのですが、人に会うと元気になるのは間違いありません。
今週から少しまた人に会いだしましょう。
先週もその予定でしたが、途中で挫折していました。

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