■節子への挽歌1977:人は本来、癒しあう関係で、生きている
節子
挽歌の読者のSさんからメールが来ました。
愛する人を失ってから、もう6年が経つそうです。
時々、メールをくださるのですが、しばらくなかったので気になっていました。
元気さが、少し感じられる内容でした。
最初は本当に苦しい日々の中生きていましたが、さすがに6年も過ぎると、相変わらず淋しい気持ちは毎日ですが、一人で暮らすことに慣れてきました。今回はちょっとうれしい報告もありました。
佐藤様が羨ましいのは、身内(娘様)がいられることです。私は本当にたった一人で、何があっても誰も助けてはくれません。その代わり誰も文句を言う人もいないので、全て自分の責任の中で生きています。
Sさんは、悲しみから会社を辞めてしまっていたようですが、いまは高齢者福祉施設でお仕事をされているというのです。
ビジネスの世界から介護の世界へと大きく転身されたわけですが、愛する人との別れによって、人の生き方は変わります。
いろいろとご苦労はあったと思いますが、仕事にも慣れ、最近、責任あるポジションまで任されたそうです。
他人事ながら、とてもうれしいです。
さらにうれしいことが書かれていました。
介護と言う仕事へのSさんの姿勢です。
私の介護に対する考えは、入居者にできるだけ長生きしてもらうのではなく、残された時間を毎日穏やかに、明るく楽しく暮らして行ってもらうというものです。とても共感できます。
そのためには、フロアの職員にストレスがたまるものではいけないので、フロアの職員ものびのびと毎日を暮らせるように雰囲気を作っていきたいと思っています。
人によって考えは違うでしょうが、私もSさんに共感します。
愛する人を失うと、生きることの意味も変わるのです。
Sさんは、つづけてこう書いています。
利用者はいろいろな方がいますが、だいたいは伴侶を亡くし家族から離れ淋しい思いで暮らしています。そこに寄り添うといっても難しいですが、そこを目指し毎日通っています。若い介護職には本当にその気持ちを理解するのは難しいものですが。感激しました。
毎日の中では、逆に利用者に癒してもらっている感が強いです。それで私の気持ちが安定しているのかもしれません。
自らを癒してもらえればこそ、人は他者を癒してもやれるのです。
私がもし気が萎えているとすれば、それは誰かの気を癒すことを最近怠っているからでしょう。
そのことに気づきました。
Sさんには、決して「たったひとりではない」と返事を書きました。
癒してくれる人がいるのですから、一人であるはずがありません。
人は本来、癒しあう関係で、生きているのです。
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